進化について2019年02月21日

ダーウインの有名な進化論では、生き残れるのは強い者ではなく、
環境変化に適応できる者だと言っている。しかし、種の興亡の歴史を
見ていくとうまく生き残れる環境が存在したことが主因と思われること
が多い。このことから、生き残れるのは偶然の中で運の良かった者で
あるという主張ができる。しかしこの運の良さというものは、巡ってきた
運を自己に生かすことのできる能力であるとも言える。
また、繁栄していた種族や国家が、自分達の社会の腐敗によって滅び
る様を見ると、自己の利を捨てて共生共存ができる者だけが生き残れ
るという説も説得力がある。人類が、類人猿を含む他の種と決定的に
違う点は相手の考えていることを推理して汲み取ることができる点に
ある。もちろん蜂や蟻のように仲間に情報を伝えることのできる優れた
社会的行動性を持つ生物もいるが、人間のような思考力に基づくもの
ではない。人間は幼児の頃から相手の考えを読み取る能力を持ち、
それによって集団的知的行動ができるという能力を有する。この能力
によって短い期間の間に驚異的な進化を成し遂げてきたと考えられる。

時間について2019年02月21日

今を大切にしろというのは、いろいろな人の言葉に出てきます。
それ程大切な真理なのかもしれません。今を大切にするというのは命
を大切にするということか。そういえば今と命という字は似ている。

時間の観念は熱力学的には系のエントロピー増加による”時間の矢”
から生まれるようです。今一生懸命何かに打ち込むということは、
放っておけば無秩序に向かう事象に逆らって秩序化しようとすること
で、それはエントロピーを減少させる働きをします。その結果、内部の
時間の流れはゆっくりになる。無為に過ごせばエントロピーの増大は
早まり、時間が早く進む。時間は未だ物理学的にもちゃんと解明され
ていないもので、人間が解明したつもりになっていても、それはまだ
表層的なものかもしれない。

人間というのは、本来、エントロピーを減少させるために生まれた存在
だと思います。食物連鎖の頂点に立って、他の生物を餌にし、消化
するという 複雑物→消化→糞→単純物質化 という秩序から無秩序
に向かうエントロピー増大をエネルギーにして、知的活動という、
無秩序→秩序化への変換を行う。
これが神?から与えられた人間の命をかけた使命か?

ポーのユーレカ2019年02月22日

モルグ街の殺人などで有名なアメリカの作家エドガーアランポーに
ついて自然科学的にも興味深い話がある。

ポーの最後の著作のユーレカという散文詩には、宇宙の神秘を直観
で解いたものが書かれているらしい。もともとは、宇宙が星で満ちて
いるなら、夜もそれらの星の明かりでこの宇宙が満ちていて明るい筈
というパラドックスがあった。当時の物理学者は誰もそのことに対し
正しい答えを出せなかったが、ポーはこの散文詩の中で、それは星が
遠くにあり過ぎるものはまだその光が地球に届いていないためだと
いうような説明をしている。現代物理学での解釈としては、ポーの説は
概ね正しい。

これはアインシュタインが相対論を発表するより半世紀も前のこと
だったという。このことから、本当に洞察力の優れた人は文学者で
あっても、物理学の世界の権威や沢山の研究者達が見いだせな
かった科学的新論理を発見することができると言える。
まあ、特別な人の例なのだろうけど驚くべきことだと思う。

但し、ポーの述べている論理は完全に正しいわけではないが本質的
には正しいと言えるのだそうだ。
宇宙はビッグバンのあと膨張を続け、現在、130数億光年の先まで
広がっている。そのような遠方からの光も実は地球まで届いている。
但し、遠くの星ほど早い速度で広がる膨張を続けているため、そこから
地球に届く光はドップラー効果により赤方偏移を受けている。
赤方偏移の結果、光の周波数は低くなり、地球に届くころには電磁波
であるマイクロ波にまで落ちている。これを宇宙背景ふく射と言い、
黒体放射の温度にして3Kの温度に相当するマイクロ波の宇宙ノイズ
として地球に降り注いでいる。
これが、宇宙が暗いことの主原因として現在認められている一つの
説明になっている。

職人の技2019年02月22日

宮大工の棟梁で有名な西岡常一という人がいた。学者との中世建造物の屋根構造について論争し、自ら、屋根を組み上げてみせて正しさを証明したことは有名である。このように、理論先行の学者は技術的洞察力においても現場でたたき上げた職人に敵わないことがある。宮大工の西岡棟梁は自分の目とこれまでの経験を通して洞察する。そして建てるときの設計図ではなく、建てて時代が過ぎたあとの姿を見通して創り上げる。即ち直観で建造物の姿形の本質を見通したアプローチを行なう。宮大工の仕事は最初に全ての設計が確定しているやりかたではなく、大まかな構想に基づいて開始し、作りながら修正し、目標に近づけるやりかたである。そのように行動することで誤差の範囲は自ずから狭まっていく。これはトップダウン的に管理することと異なり、帰納的であり、試行錯誤のアプローチであるともいえる。
管理優先の仕事のやりかたの中では、試行錯誤は望ましくないものとされやすい。しかし、考えぬきながらの試行錯誤こそは誤差の広がりを防いで目標に近付くための有益な手段なのである。宮大工が使う木材は原木を割って形成する。だからあらかじめ設計された図面とは合いようがない。我々の仕事とて同様であり、あらかじめ決めたように進むことは殆ど無いと言ってよい。だから、実際の仕事のやりかたというのは目論んだ通りにはいかず、多かれ少なかれ試行錯誤なのであり、
この中で目標に近づけようと考え抜き、試し、努力するものだろう。

アンテナ2019年02月23日

下にある3エレメントの八木アンテナはモーターでエレメント長さを調整
して14MHz~50MHzまで使えるSteppIRアンテナです。
建ててから今年で12年目になりましたがグラスファイバーのロッドが
日光の紫外線で脱色してしまいました。機能的には問題はなく各バンド
ともフルサイズの3エレ八木として良く働いています。

太陽活動の低下に伴い、高い周波数帯の伝播が悪くなってきたので、
上側には7MHz用ダイポールアンテナを昨年秋に取り付けました。
干渉を防ぐために八木アンテナとは直交させています。まだバランを
付けておらず同軸ケーブルを直結。これだと3.5MHzでも無理をすれば
近場との交信には使えます。今バラン(平衡不平衡変換素子)を作って
いますが、これを取り付けるとノイズの減少などが期待できる反面、
3.5MHzが使えなくなりそう。

家が狭くて現状よりも大きなアンテナを上げるのは困難なため、
このようなコンパクトなアンテナで細々と楽しんでいます。

確定申告2019年02月23日

確定申告会が始まった今週月曜に申告に行ったら混み過ぎで、しかも
マイナンバーカードを忘れていたので出直したら、もう受付終了に
なっていた。次は早くということで一昨日の受付開始前に行ったら
10番目でスムーズだった。結局少しだけ還付金がある結果ですぐ
終了。毎年確定申告しているけれど多額を取られた年もあるし、多少
戻ってくる年もあった。しかし還付や徴収の多寡にかかわらず確定申
告をするとなんだか一年の一区切りついた気がして気持ちが落ち着く。

理論のあやうさ2019年02月24日

飛行機がなぜ浮き上がるかという疑問に対し、揚力という説明がすぐ上がる。通常、揚力をわかりやすく説明するために、翼の上方が曲がっているため流れが速く、下側は流れが曲げられないため流れが遅い.だからベルヌーイの定理で.....
と説明するとたとえが簡単なので皆わかった気になる。
中学生のころも学校でそう教えられた覚えがある。しかし実際のところ曲げられることで本当に流れが速くなるのだろうか?事実と合っているのかという疑問が残る。
実際は、翼のあとに渦ができるのだが、これに対する反作用として翼の周りを廻る逆うずもできる。この渦が翼の上側では流速が強め合い、下側では相殺するため、結果として上方の流速があがり、揚力が生ずることになるというのが正しい理屈のようだ。
前者のわかりやすい、観念で作った理屈からは、計算しても、事実と合わないようだ。説明しやすい簡単な例による理屈づけは、却って正しいメカニズムの把握を誤ることがある。安易な理屈やたとえによる説明は弊害が大きく科学的とは言えない。
正しい理屈が証明されないものをたとえに使わないほうが良さそうだ。
仮説においても同様.安易な仮説による説明は大きな誤りを呼ぶ恐れもある。
わからないことは、事実の説明のみにとどめるのが無難と言えそう。
シミュレーションも、この理論の合致性が問題であり、誤ったメカニズム
を適用すると役に立たないどころか、大きなミスの要因となる。
やはりちゃんと実験して現象をよく観察することが基本になるのでしょう。

待機電力2019年02月25日

身の回りにある電気製品の待機電力が気になって、気が向いたときに
測っている。方法は手軽な電流測定のみ。力率がわからないので単に
電圧と電流の積VAで表している。いくつか例を示すと

扇風機     1.66VA(リモコン機能あり)  1.24VA(リモコンなし)
ADSLモデム  10VA 
無線ルータ   1VA
電話機(親機) 2VA
CDラジカセ   6VA
ラジオ      1.8VA
ノートPC    1.93VA (オン時10.5VA)
オーディオコンポ  8VA
単機能電子レンジ  ゼロ
電源アダプタ(各種) 2VA程度

実際の消費電力はこれに力率を掛けたものなのでもう少し小さい。
他にも多くの電気製品が待機電力を食っているので合計するとかなり大きなものになりそう。だから全地球で考えると大量の無駄な待機電力が常に消費されている。使わないものはまめにコンセントから外すのが良いが、エアコンなどは抜いてはいけないようだ。他にタイマー動作しているものも多いのでコンセントの抜き差しはよく考えて行う必要がある。
上記で注目したのは電子レンジ。簡素な温め専用であるが、手動のタイマーで設定するだけのものであるため、普段働いている電子回路もなく、使うときだけ電力を消費する優れ物。最近調子が悪くなったので家電店に見に行ったが最近のものは手でひねって設定するような簡素なものがなく、どれも押しボタンの電子式ばかりでガッカリした。
使わないときには昔のように完全に電源がオフされるような電化製品がもっと増えてくれたらと思う。世の中は本当に進歩しているのだろうか?

フランクル「夜と霧」2019年02月25日

ユダヤ人フランクルは4歳の時、こう考えた。「人は必ず死ぬ、だとしたら僕は何のために生きるのだろう」と。少年は成長して精神科医となったが、ナチスに捕らえられてユダヤ人収容所に送られる過酷な運命を辿る。(私も昔ドイツのミュンヘンで、休日にダッハウ強制収容所というところを見学したことがあるが、施設を見学したり中で当時の記録映像も見ていたたまれない気持ちになった。)
収容所では、次々とガス室に人が送られていく不安のどん底が続く日々、絶望感で生きる気力さえ無くして亡くなっていく者も多かったが、その一方で、力尽きることなく希望を捨てずに生き残る者もいた。フランクルは、収容所での体験を通して、生きる意味とは、希望とは何なのかを見出した。どんな状況であっても希望を見つけること、未来を信じることが大事なのだと。
人は衣食住などの基本的欲求だけではなく、人に尽くすことや何かを創り出すこと、芸術を楽しむ事など、多くの喜びを感じながら生きている。そこに“生きる意味”があるのだと。
フランクルはさらに言う、人生から何を期待できるかではなく、人生が何をあなたに期待しているかが問題なのだと。自分の内側を見つめるのではなく、あなたを待っている何かを見つめよ。そして目的意識を持って生きることであると。
収容所では希望を捨てずに生き残る者がいた。過酷な状況でも人間性を捨てず、運命から逃げないことが生きる力となった。即ち、運命と向き合って生きるということである。フランクル自身、収容所に送られた時に未発表の自分の論文を服の中に縫い付けて隠し持っていたが、ある時それを見つけられて取り上げられてしまった。暫くは絶望感の中にいて生きる希望も失ったが、再び論文を復元しようとする目的意識が芽生え、それが生きがいとなった。
人が生きる価値としてフランクルは3つの価値を挙げた。それは、創造価値(自分が行う仕事を通じて作り出す価値)、体験価値(心ふるわす体験)、態度価値(仕方ない状況下に置かれても人間は運命に対し毅然とした態度をとることができる)である。
生きる意味は自ら発見するものであり、苦しみは真実への案内役だとフランクルは説いた。与えられた運命を受け容れ、それをバネにすることで人は成長する。苦悩の先に光がある。苦悩と死があってこそ人間は完全なものになるのだとフランクルは言う。しかし苦悩のための苦悩は意味が無い。それは自己意識の罠にはまることだ。何かを成し遂げるために苦悩することが大事なことだ。その人に与えられた運命は贈り物である。運命を失敗か成功かの水平軸上に見るのではなく、意味と絶望の垂直軸を見ることが大事なのだという。
これまで経済的な豊かさのみを求めてきた結果、社会には空虚感が拡がってきている。
この中で人はどう生きるべきか。フランクルは人生を砂時計にたとえた。過去は過ぎ去ったことではなく、蓄積されるものである。苦悩から逃げずに生きた時、過去はその人にとって大事な財産となる。


         どんな状況でも人生には意義がある    フランクル

反証が出るまでの仮説2019年02月26日

人間が作為的に何かを改良する方向に進む進化と、自然淘汰的
な進化を比較すると自然淘汰のほうが遥かに優れているように思える。
後者は確率的なばらつきによりある形質が生まれてそれが何世代もの間に環境に
適合する形質を持ったものが繁栄する。時間はかかるけれど恐ろしく精度の高い技術
改良が進んで完璧なまでに進化する。試行数が多くなればなるほど精度が上がる
やり方。これに比べると人間のやり方は巧妙に見えて実は見方が狭すぎる。もっとも
人間の科学も実は自然淘汰のメカニズムに組み込まれて釈迦の掌の上なのかも
しれない。
人間の科学の一つでもある自然科学は自然の絶対的正しさを出発点にしている。
自然科学のすごいところは、無謬性の追求とあくまでも反証可能な仮説という立場を
取っていることで、最終的な理論であるという主張を最初から放棄していること。
つまり、現在の理論や説は反証が出るまでの仮説に過ぎないという考え方。
このような考え方を明確に出したのはアインシュタイン。自らの相対性理論も反証を
求めた。一例としては、もし重力ポテンシャルに起因するスペクトルの赤方偏移が存在
しないなら一般相対性理論は間違っていると認める。あるいは光の湾曲の有無で相対論
の正否を見極めようとしたことなど。彼のやり方は批判的思考がベースにあるのだろう。
その後の量子論に対しても自ら反証的問いかけをボーアにぶつけた。
両者の論争はボーアの勝ちのようであるが、アインシュタインの量子論に対する執拗な
反証指向は彼の一貫した批判的思考精神に基づいている。
これは、これまでの人文哲学者たちの独断的態度とは異なるものである。