待機電力2019年02月25日

身の回りにある電気製品の待機電力が気になって、気が向いたときに
測っている。方法は手軽な電流測定のみ。力率がわからないので単に
電圧と電流の積VAで表している。いくつか例を示すと

扇風機     1.66VA(リモコン機能あり)  1.24VA(リモコンなし)
ADSLモデム  10VA 
無線ルータ   1VA
電話機(親機) 2VA
CDラジカセ   6VA
ラジオ      1.8VA
ノートPC    1.93VA (オン時10.5VA)
オーディオコンポ  8VA
単機能電子レンジ  ゼロ
電源アダプタ(各種) 2VA程度

実際の消費電力はこれに力率を掛けたものなのでもう少し小さい。
他にも多くの電気製品が待機電力を食っているので合計するとかなり大きなものになりそう。だから全地球で考えると大量の無駄な待機電力が常に消費されている。使わないものはまめにコンセントから外すのが良いが、エアコンなどは抜いてはいけないようだ。他にタイマー動作しているものも多いのでコンセントの抜き差しはよく考えて行う必要がある。
上記で注目したのは電子レンジ。簡素な温め専用であるが、手動のタイマーで設定するだけのものであるため、普段働いている電子回路もなく、使うときだけ電力を消費する優れ物。最近調子が悪くなったので家電店に見に行ったが最近のものは手でひねって設定するような簡素なものがなく、どれも押しボタンの電子式ばかりでガッカリした。
使わないときには昔のように完全に電源がオフされるような電化製品がもっと増えてくれたらと思う。世の中は本当に進歩しているのだろうか?

フランクル「夜と霧」2019年02月25日

ユダヤ人フランクルは4歳の時、こう考えた。「人は必ず死ぬ、だとしたら僕は何のために生きるのだろう」と。少年は成長して精神科医となったが、ナチスに捕らえられてユダヤ人収容所に送られる過酷な運命を辿る。(私も昔ドイツのミュンヘンで、休日にダッハウ強制収容所というところを見学したことがあるが、施設を見学したり中で当時の記録映像も見ていたたまれない気持ちになった。)
収容所では、次々とガス室に人が送られていく不安のどん底が続く日々、絶望感で生きる気力さえ無くして亡くなっていく者も多かったが、その一方で、力尽きることなく希望を捨てずに生き残る者もいた。フランクルは、収容所での体験を通して、生きる意味とは、希望とは何なのかを見出した。どんな状況であっても希望を見つけること、未来を信じることが大事なのだと。
人は衣食住などの基本的欲求だけではなく、人に尽くすことや何かを創り出すこと、芸術を楽しむ事など、多くの喜びを感じながら生きている。そこに“生きる意味”があるのだと。
フランクルはさらに言う、人生から何を期待できるかではなく、人生が何をあなたに期待しているかが問題なのだと。自分の内側を見つめるのではなく、あなたを待っている何かを見つめよ。そして目的意識を持って生きることであると。
収容所では希望を捨てずに生き残る者がいた。過酷な状況でも人間性を捨てず、運命から逃げないことが生きる力となった。即ち、運命と向き合って生きるということである。フランクル自身、収容所に送られた時に未発表の自分の論文を服の中に縫い付けて隠し持っていたが、ある時それを見つけられて取り上げられてしまった。暫くは絶望感の中にいて生きる希望も失ったが、再び論文を復元しようとする目的意識が芽生え、それが生きがいとなった。
人が生きる価値としてフランクルは3つの価値を挙げた。それは、創造価値(自分が行う仕事を通じて作り出す価値)、体験価値(心ふるわす体験)、態度価値(仕方ない状況下に置かれても人間は運命に対し毅然とした態度をとることができる)である。
生きる意味は自ら発見するものであり、苦しみは真実への案内役だとフランクルは説いた。与えられた運命を受け容れ、それをバネにすることで人は成長する。苦悩の先に光がある。苦悩と死があってこそ人間は完全なものになるのだとフランクルは言う。しかし苦悩のための苦悩は意味が無い。それは自己意識の罠にはまることだ。何かを成し遂げるために苦悩することが大事なことだ。その人に与えられた運命は贈り物である。運命を失敗か成功かの水平軸上に見るのではなく、意味と絶望の垂直軸を見ることが大事なのだという。
これまで経済的な豊かさのみを求めてきた結果、社会には空虚感が拡がってきている。
この中で人はどう生きるべきか。フランクルは人生を砂時計にたとえた。過去は過ぎ去ったことではなく、蓄積されるものである。苦悩から逃げずに生きた時、過去はその人にとって大事な財産となる。


         どんな状況でも人生には意義がある    フランクル