新聞の購読と選挙公報2022年04月18日

私はもう長い間新聞というものを購読していない。その一番の理由は新聞社というものが多かれ少なかれ特定の政治的方針に偏向しているためだ。例えば一番の購読数を持つ読売新聞は今や政府の御用新聞と思われるほどの論調傾向で、保守的な世論形成にかなりの影響力を持っている。新聞は通常一家庭では一紙の購読であり、その新聞を毎日読んでいればその新聞社の意図する考え方が刷り込まれていくのは自然だろう。読売に限らず、各新聞はそれぞれ自社の政治姿勢に基づいて記事を作成し読者を誘導しているのは否めない。そんなわけだから新聞社の誘導に影響されないようにするのは難しいが、インターネットなら各社の報道を色々な角度から比較できるし、より客観的な判断が可能である。しかしこれもフェイクニュースや偏った視点からの報道も多いのでそれを見抜く洞察力が必要なのは勿論のことだ。その他にも新聞紙の片付けや廃棄など頭の痛い問題も多いし、紙媒体は基本的に環境への負荷も増加させる。そのような事からもう随分前に新聞購読はやめた。
しかしたまに新聞をとっていないと困ることもある。現在こちらは市会議員の選挙期間であるが、選挙公報は新聞に折り込まれて各戸に配布されるので新聞を購読していないと当然選挙公報を読むチャンスを逸する。郵便局や市役所まで出向けば入手できるようだがそこまでの積極性はない。このためこれまで選挙があるたびに候補者の情報を知るのに苦労した。そこで市役所には選挙公報をWeb化してインターネット上で読めるようにして欲しいという要望も送ったがこれがいつ実現するかはわからない。市役所はWebページを持っているのになぜか選挙公報がWeb上に載ったことはない。新聞を購読しない人間などMinorityだから放置という姿勢かもしれないが今や紙の新聞を購読しない人の割合は相当増えており、いつまでも公的情報発信を紙の新聞だけに限定するべきではないだろう。

自宅から確定申告2021年02月02日

確定申告を自宅から行うには以前はカードリーダーが必要だったため出来ず、毎年申告会場へ行っていた。申告会場では長時間待つのが毎年悩みの種。しかし今年は自宅からの申告方法としてID・パスワード方式という別の方法のあることを税務署からの連絡で知った。この方式は実は去年からあったのに気づかなかった。過去に申告会場で申告する時にIDとパスワードをもらっているので、これを使って国税庁のホームページからe-TAXで申告ができる。カードリーダーのない自宅のパソコンから可能で、申告会場に行くことも紙書類を提出することも不要である。申告日も前倒しで可能。但しこの方式はあくまでも暫定で正式にはマイナンバーカードとカードリーダーによる方式を用意する必要があるとのこと。
令和2年度分の所得申告に必要な書類も一通り集まったのでちょっと早いが、今日自宅から申告してみた。年金などの雑所得と社会保険などの保険費用を打ち込んで1時間ほどで出来上がり、送信して終了。会場の混雑を考えるとコロナ感染が心配だったので行かずに済んで助かった。毎年申告が済むと気持ちがちょっとだけ安らぐ。

自粛か緩和か2020年05月11日

コロナウイルス感染対策として日本は緊急事態宣言中であり、社会活動への制限や自粛が行われている。しかし実際のところ自粛や規制が正しいのかそうではないのかまだわからない。自粛や規制は高齢者や持病持ちの感染リスクを抑えるが、同時に経済活動停止状態が長く続くことになり、経済破綻により日本が破滅に向かう可能性もある。いくら感染速度を抑えられたとしても経済が破綻すれば総体的な死者の数はむしろ増加する恐れもある。つまり感染も経済も両方人間社会の死に直結していて優先度を選べるものではない。また経済面だけでなく、子供の学校閉鎖に関しても規制することと緩めることのどちらが正しいのかは判断できない状況である。
自粛を緩和した場合、感染者数は規制時よりもずっと増加して病死者を増やす。その反面、自然免疫者の増加率が上昇することで事態の終息までの期間を短くすることが期待できる。この新型ウイルスがどのようなものであるのかまだ判っておらずワクチンもない現状では結局感染が蔓延して自然な免疫者の割合が十分高くなることでしか終息の見通しはないようだ。従って、自粛や規制によって感染を引き延ばせばそれだけ免疫を持つ人の増加に時間がかかり、流行期間を引き延ばして経済不況を長引かせることになる。しかしこの免疫に関しても新型コロナウイルス感染で生ずる抗体の効果がどれほどのものなのか未知だ。また、自粛緩和時の感染の拡大速度の異常上昇の恐れもある。
以上のようなことから、自粛や規制により感染速度を下げる方向と、緩和により感染拡大速度をある程度上げることで終息までの期間を短縮する方向の間のどの辺りに最適解があるのかは分からない。但し日本は感染者数も死者数も見かけは少ないがそれが実体を現わしているのかどうか掴みにくい。感染者は検査されていない母集団の中に既に遥かに多く存在している可能性があるし、死者はコロナ感染から除外されている隠れ死者数が膨大な可能性もある。まず統計的推定が可能なデータを集めることが日本にとって第一義の問題だろう。
現在、世界の各国は感染と経済を両天秤にかけて政策を進めている。そのバランスの取り方は各国の考え方によって違っている。これは今、世界で未知のウイルス感染に対し色々な方向の大規模な社会実験を行っているのだとも言える。その最終結果を見るまではどの方向が正しいのか結論は出せないが、試行錯誤の中から最適な方法が見えてくるだろう。今のところ日本のやり方が良いのか他国のやり方が良いのかわからないが、世界が色々な道を選ぶ中から適切な方法が残っていくのはダーウインの自然選択と同じことをやっているのかもしれない。

ファミコン2020年05月02日

コロナ対策で自粛ひきこもり生活のひまつぶしに適しているのがファミコン。初代ファミコンがまだ家に保管してあったので、以前に引っ張り出してテレビにつないでみたら問題があった。ファミコンは昔のテレビゲーム機なのでVHFのアナログテレビ信号出力しかない。家の地デジテレビではアナログVHF入力もあるのだが何故か垂直同期位相が合わないため直接VHF入力が使えない。そこでファミコン内部からビデオ信号/音声信号を分離して地デジTVのビデオ入力端子への直接入力化改造をはかった。ファミコンはビデオ信号と音声信号が基板内に独立していてこれをVHFのRFモジュレータ回路に接続しているので改造しやすい。但しそのままでは直流が重畳してしまうので直流を切るCRのカップリング回路が必要となる。映像信号はRP2062というICからの映像出力が2SA937のエミッタフォロアに入っている。信号はエミッタ端からコンデンサで直流カットして引き出す。ビデオ信号は通常25Hz~5MHz程度の広帯域スペクトルを持つ。低域ではAC結合の場合CRによる時定数でポール(共振点)を持ち、位相が回わるので、ポールは使用下限周波数の1/5の5Hzくらいまで余裕を見る必要がある。CRの定数は夫々470μFと約400Ωにすると時定数CxRは約200ms=5Hzとなり条件を満足できる。音声信号もRFモジュレータに行く線の途中から直流カット/分圧し引き出した。以上で結構綺麗な画像が楽しめる。
ファミコンのグラフィックスは今時のゲームとは比べ物にならない原始的なものだが、なぜか最新のリアルなものよりファミコンのグラフィックスに親近感と楽しさを覚える。最近RPGのドラクエ3を始めたがなんとか船で海を渡れるレベルまで来た。しかしこのごろはネットで攻略法を見ることができるので誘惑に勝てず、安易な進め方をしてしまうのが難点だ。

パンデミックが変える世界2020年04月16日

新型コロナウイルスによる感染症はパンデミックとなった。人類は今後どこに向かうのか?ユヴァル・ノア・ハラリやジャック・アタリなどの現代の知性にNHKがインタビュー。4月16日0時より再放送のNHK Eテレ「パンデミックが変える世界」を観た。その中で特に経済学者のジャック・アタリのコメントが印象的であったため、以下彼の言葉のいくつかを拾ってみた。
まず過去の歴史を振り返ると、スペイン風邪では第一波より第二波でより多くの犠牲者が出た。封じ込め政策により第一波が収まったあと、人々は早く外に出てしまった。それが再流行を招いて第二波が起こり、さらに酷い事態となった。だから犠牲を減らすためには封じ込めの手を緩めないことが大事である。そのためには厳しい政策の方が支持されやすい。安全か自由かと言えば、人は自由ではなく安全を選ぶだろう。つまり強い政府が必要とされる。その反面、強い政府は独裁化が懸念される。しかし、強い政府と民主主義は両立し得る。第二次世界大戦の当時のイギリスは強力な政府を持ちながらも民主主義が維持された一例である。だが民主主義が守られたとしても各国が利己主義に向かう恐れは高く、経済的な孤立主義が高まる危険もある。自国の経済が他の国に依存しないで済むよう見直す傾向は一面の真実ではある。しかし、そうだからといって国境を閉ざしてしまうべきではない。私たちにはもっとバランスの取れた連帯が求められる。この連帯のためにAltruism利他主義が必要となる。利他は結局利己でもある。利他主義とは合理的利己主義であり、協力は競争よりも価値があると言える。この利他主義と並んでアタリの提唱するPositivism(実証主義と訳される)はOptimism楽観主義と混同されやすいがアタリは次のように識別する。PositivismはOptimism楽観主義とは異なる。Optimismは何となくこの災いを切り抜けられるだろうと見るが、Positivismは自分たちの安全のために最善を尽くし、世界規模で経済を変革させていくことができればきっと人類はこの災いに勝てると考えること。その意味で今の状況は未来に向けて産業構造を変革するためのチャンスでもある。アタリの言うPositive経済とは、次世代を見据えた長期的な視野で産業構造を、人が生きるために本当に必要な、食料、医療、教育、情報、研究、イノベーションなどに絞り込んで行くことである。しかしこれが正しいのか又本当にできるかどうかも分からない。パンデミックが去るとまた以前の状態に戻ってしまうのかもしれない。

日本国憲法2020年03月16日

政府や新聞などによる巧みな危機感の醸成によるのか憲法改正に賛成だと言う人は案外多い。しかし憲法の本質は国家権力が暴走しないように権力側を縛って国民の人権を守る点にある。従って国民が憲法改正に賛成することは羊が狼の鎖を解いてやるような怖さがある。先日、首相による緊急事態宣言 を可能とした改正新型インフルエンザ等対策特別措置法が施行された。首相による緊急事態宣言というとヒトラーによる大統領緊急令を連想してしまう。当時最も民主的と言われたワイマール憲法には国家の緊急事態の場合には国会審議を経ずに大統領が緊急令を発動できる脆弱な条項があった。ヒトラーはそれを巧みに使って民主主義を合法的に抜けくぐり、独裁の道を切り開いた。狼の鎖の一部に外せる隙間があったということだろうか?これに対し日本国憲法はもっと強靭で、その鎖を簡単に外す隙間はない。しかし、これも巧みな言葉で媒体を使い、国民という羊に民主的に鎖の鍵を外すよう誘導することは可能である。そうでなくとも日本国憲法は抽象的な理念や概念によって構成されており、憲法を改正しなくとも必要な法律は制定可能である。
旧憲法は天皇を根本原理としているのに対し、日本国憲法は主権在民と平和を基本原理に置いている。しかしその日本国憲法においても天皇は象徴と規定されることで継続しており、その存在の曖昧さが長く議論を呼んできた。この点で日本国憲法は高邁な基本原理に旧憲法の改変を組み合わせた折衷案とも言えるような革新性と保守性が同居している。日本国憲法の異質さは本来憲法を擁護すべき保守系が改憲を主張し、一方で第九条を守ろうとする革新系が天皇制の廃止に向けて改憲を主張(近年は民意を考慮して革新系も天皇制容認の方向に変わっている)するという、保守革新双方が別の目的ではあるが改憲を志向するという奇妙なものだった。日本国憲法は少なくとも発効以来改正されたことがない。これは第96条による改正抑止効果もあるが、それなりに普遍性という点で成功している理想憲法なのだろう。簡単に改変できたり抜け道のある憲法はたしかに緊急な事態に迅速な対応を可能とするが、それはまた悪意によっても簡単に国民に牙をむくものになり得る。

NHK経営委員会というもの2019年10月04日

昨年4月に放送されたクローズアップ現代+でかんぽ生命保険の不正販売問題が報じられた。この番組に関し、当事者の日本郵政鈴木康雄副社長(元総務省事務次官)からNHK経営委員会に抗議が行なわれた。NHK経営委員会はこれを受けてNHK会長に厳重注意を行ったとのことだった。この結果、番組では第2弾が予定されていたが放送されることはなくなった。郵政の鈴木副社長は元放送行政のトップであり、この人の意向をNHK経営委員会が受け入れ、報道の現場が放送内容の制限を受けたと考えられる。泥棒からの文句に警察が忖度するようなものだ。
そもそもNHK経営委員会とはどんな人たちで構成されているのか調べてみた。人員は12名でメンバーは財界系6名、大学などの教育機関から5名、政府系と思われるNPOから1名となっている。つまり殆どが政府の意向を受けたメンバーと考えられる。特に財界人が多いが、財界人は経営といっても要は利潤追求のプロに過ぎない。NHKは国民の金で運用されているのだから利益を追求する必要はなく、財界人がこれほどまで多い必要性を感じない。大学系は中身がわからないので違っていたら申し訳ないが多くが政府に都合の良い御用学者だろうと憶測する。NHKは国民の受信料で運営されているのだから一般国民が本来の経営委員であるべきだ。全員とはいかなくても半数以上が一般国民から選ばれるのが望ましい。現在のメンバーを見ただけでその体質は一目瞭然であり、放送行政の元トップからの文句ひとつで報道が左右されるのも頷ける。本来、経営委員会は番組内容や報道現場に干渉してはならない筈だが、現実には何らかの理屈をつけて強い影響を与えている。かんぽ生命保険の問題はNHKのこの番組によって国民に明らかにすることができた。これはNHKの報道現場の使命感の強さを表すものだったと言える。それが不都合だからと経営側によって番組が阻止される実態がこの国の姿を現しているのだろう。

古墳に立ち寄る2019年09月02日

今日も涼しいので近くの粕川土手を自転車で散歩。伊勢崎市本関町の辺りに古墳があって以前から気になっていたので立ち寄ってみた。土手の端にあり、小さな公園になっていた。名称は一ノ関古墳で説明書きによるとおよそ50mの前方後円墳だが粕川により浸食されて今は全長28mの墳丘部分のみ残っている。写真は後円部で横穴式石室に入れる入り口がある。石室まで入れるようだが中まで入ってはみなかった。時代は6世紀後半でこの地域の中心的人物を埋葬した古墳と考えられている。伊勢崎市にも古墳が多い。以前家の前に新しい道路が通って土地を収容された時も埋蔵物が出てきて発掘作業が行われた。結果は古代住居跡とのことであり、特別なものは出なかったがまさか自宅が古代住居跡だったとは思わなかった。

世界難民の日2019年06月18日

明後日6月20日は世界難民の日。もともとはアフリカ難民条約発効を記念したアフリカ難民の日だった。これが世界的に深刻化している難民問題に拡張され、難民の保護や援助に対する世界的な関心を高めることや難民支援を行う国連機関やNGOの活動への理解を深め、故郷を追われた難民の逆境に負けない生き方に敬意を表す日となった。
世界でこれまでに故郷を追われた人の数は凡そ6500万人に上る。そのうち国外に避難している難民は約2500万人。主な難民の出身国上位はシリア、アフガニスタン、南スーダンである。また、難民受け入れ国上位はトルコ、パキスタン、レバノン、イランなど。先進国の中ではドイツの約70万人に対し日本は極端に少なく3000人位しか受け入れていない。日本では2017年の難民申請者2万人に対し認定されたのはたった20人しかいない。2018年でも申請1万人に対し認定者は40人だ。しかも申請して判定が出るまでに2年半もかかる。このように日本は難民に対して非常に厳しい国である。日本人は難民問題に関心を持つ人が少ないため、政治家も票の取れない課題を重要事項として取り組むことはない。日本人は同質性を好み、排他的で、外国からの人の流入に対し治安悪化などの偏見を持っていることが政治にも反映されているのだろう。その一方、日本は人口減少が続いて高齢化が深刻になっている。この問題を解決するため子供を産むことに関しては最優先課題として取り組んでいるが、その反面海外からの移民受け入れには極めて消極的である。これは日本人の民族主義意識の強さによるものか。この意識を変えていくことは容易ではないが、もう一度民族とは何か、国とは何かについてよく考えてみる必要がある。世界は偏っている。一方で食料が余り人口減少で悩む国があり、他方では貧しく食べ物もない人口過多な国がある。富や人口が均されるグローバル化は自然の流れである。外国からの移民であっても日本の国籍を得れば日本人である。日本の地に定着して二世三世が育ってくれれば日本の人口を維持することができる。難民や人口過剰な国の人を積極的に受け入れて日本に帰化してもらうならお互いに有難い筈。移民に対する狭い門を見直すには国民の意識の転換が大事だ。まずはその一歩として難民について知ることから始める必要がある。アマチュア無線でも、アフリカの国々との交信は珍重されるが、珍しい地域との交信を喜ぶだけでなく、それらの地域に暮らす人々について時に思いを馳せたい。