学びと探求2019年03月30日

今年の受験シーズンも終わって桜が咲き始めた。日本だけではなく世界は相変わらず学歴社会である。その中で優位に立つのは試験が得意な人たちなのだろう。そういう所謂秀才は小さいころから効率的に知識を覚えて問題を的確に早く処理するという能力を競い育ってきたのではないだろうか?もちろん知識は大事であるしそれなしには判断したり考えることもできない。だから人から教えてもらうことを覚えるということは大切だ。知識はその意味をより深く理解し物事の本質に迫ろうとするなら学ぶ価値がある。
しかし、大抵の場合それを覚えさえすればその概念を知ったつもりになってしまうところに弊害がある。そんな、知識の断片を覚えることに慣れてしまうと物事の本質について深く考えるということをしなくなってしまう。本当に学ぶとは知るだけに留まらず自ら本質を発見しようとするものではないだろうか?今の時代は結構学ぶことが好きな人が多く、青少年時代だけでなく社会人を経て退職した以降も純粋な学習意欲を持ち続け、中には積極的に学校の講義を聞きに行く人もいる。それはとても結構なことだし良い時代になった。しかしその中で本当に学んでいる人はどれだけいるのだろうか?大学も悪くはないが本来は教えてもらうところではなく、自ら探求する場所だとも言える。それならばその場所は敢えて大学である必要もない。大事なのは一生を通じて探求し続けることでありたい。ではそのような探求者になるにはどうすべきだろうか? それには自分が最も大事だと思うことや興味のあることを長期にわたって我慢強くやり続けることが基本になるのかもしれない。