読書 方法序説(河出書房)2019年03月16日

理性は正しく判断し真偽を弁別する能力であり、すべての人が平等に持っている。我々の意見が多様なのは理性の違いではなく、我々の思想を種々の異なった経路で導いているだけのこと。つまり我々は同一の事物を考察しているのではないということから起こっている。
・・・・・・(方法序説第一部始まり部分)

デカルトは論理の方法として次の4つの準則を考えた。(第二部)
第1は自分が疑いなく明瞭な真理であると認めるものしか真実として受け入れないこと。第2は自分が検討しようとする問題を解決するためできるだけ多数の小部分に分割すること。第3は最も単純で最も認識しやすいものから段階を追って秩序だって導くこと。第4は全般を再検討し、何も落ちがないと確信できるほど完全な列挙を確認すること。

そして第四部では疑う余地のないものとして「私は考える、だから私は存在する」から出発することとした。

デカルト以降、科学技術はこの精緻で根源的な方法により成功し発展してきた。しかし、この方法を持ってしても解明できることは分割要素の数が限定された範囲内に過ぎず限界がある。分割要素の数の多い複雑系では要素間の相互作用が無視できなくなり、成り立たなくなる。例えば、地球温暖化問題などのような要因が複雑に絡み合うものでは予測と結果との間に大きな誤差が生じたり、確からしさの低い結果しか得られない。デカルト手法の誤りやすい原因としては、実際よりもずっと少ない分割でしか調べられていないのに、全体を見通そうとする試みにある。従って、要素間相互作用についても見落とすことになる。現代では、このような問題があるにもかかわらず、相変わらず専門化が進んでいる。このような専門外に対しての無知が、不正な研究者の輩出に間接的に繋がるという批判もある。