Wi-Fiの不具合2019年03月01日

自宅の無線LANの接続がすぐ切れる。PCを操作してちょっと時間が経過すると切れている。再接続の作業をするとまた繋がるのだけれど面倒くさい。windows8のころは問題なかったがwindows10になってから非常に切れやすくなった気がする。
そこで、windowsの設定→ネットワークとインターネット→Wi-Fiを見るとネットワークプロファイルというのがあってここがパブリックになっていた。これをプライベートに変えてみた。これでしばらく使ってみたら切れなくなった。PCをスリープ状態から復帰させてもちゃんと繋がっている。
一応これで解決したように思うけれど、どうもすっきりしない。プロファイルがパブリックだとなぜ切れやすくなるのだろうか?パブリックだと危険性が増えるのでなるべくWi-Fi接続は切るような動作をする設定なのだろうか?
PCは問題が生じたとき、こうやったら解決したというようなケースが多い。その理由がよく分からないまま、とりあえず問題解決はしたということで一件落着してしまうことも多い。PC自体は理屈通りに動作しているだけだろうけど、複雑過ぎて使う側はこうやると直るというような経験的な対応を繰り返すだけで済ますことになる。記憶力に頼る経験的対応は若いうちならたやすいだろうけれど、歳をとって記憶力が低下してくると手に負えなくなってくるのは困ったことだ。
それに、こういう対処法は本質に迫っていないのでまた問題が再発することが多いのが世の習わしだ。

T31EU2019年03月02日

現在、太平洋の中央キリバスから出ているT31EUは日本からは交信がしやすい。この局が10MHz帯にも出ているのだけれど私にはなかなか交信ができなかった。理由は10MHz用のアンテナがないため。
仕方ないので14MHz用のアンテナを無理やり10MHzで使ってみようとするのだけれど、インピーダンスの関係でどうやっても整合がとれない。こうなると送信保護回路が働いて殆ど出力が出ないのだけれど、無理やり呼んでみた。何度か呼んでみるとWW?と返ってきたのでまた呼んでみるがなかなか正しく取ってもらえない。しつこく呼んでやっと正しく取ってもらえた。まともなアンテナがあれば容易なのだろうけれど、アンテナがないと本当に難しい。でも苦労して交信する面白さがある。

車の充電制御2019年03月03日

家の車を使う頻度は少なめだが、そのために困っていることがある。バッテリーがすぐだめになること。車の燃費向上のために今の車は充電制御が普通に行われている。これは、僅かでも燃費を向上させるためにオルタネータの発電電圧を制御する方法。始動直後や必要な時以外は充電せず、常にバッテリーを不足充電状態で使う。運転中も充電していない時間が多いためオルタネータの発電量を減らせてエンジン負荷を僅か小さくできる。しかし鉛バッテリーは満充電に近い状態で使うのが本来望ましく不足充電状態が長いと寿命は低下する。満充電で使えば充電電流も小さくて済むので旧い方式はそれなりに合理的である。一方、充電制御方式では充電は大電流で短時間に行われるために専用の高価なバッテリーが必要となり、寿命も短めである。それでも車を常時使う人はよいが、あまり使わない人はバッテリーの寿命が従来よりも激減する。即ち多様な使われ方に対応しにくくなってきている。結局、僅かなカタログ燃費を向上させるために消費者はバッテリーの交換頻度増を余儀なくされる。廃棄されるバッテリーの増加により環境負荷も増える。見かけの燃費向上のために逆に環境を悪化させている。経費的にも低減できる燃費より高価な充電制御専用バッテリーの買い替え経費のほうが遥かに上回るだろう。新技術と呼ばれているものの中には優れたものばかりではなく、見かけの測定値やカタログ値を上げるだけのために消費者にかえって負担を強いる粗悪な新技術も多いような気がする。

論理的であることについて2019年03月04日

コナンドイルの小説に出てくる探偵シャーロックホームズは極めて論理的に思考してスマートに答えを出す。
論理的であることはクールだ.しかし、人間は本当に論理的な思考などしているのだろうか?人間の頭はそんなに単純ではない。同時にいくつもの思考が交錯して結びつきあい、離れることを繰り返しながら、一つの考えに到達することが多い気がする。
たしかに、そんな頭の中をそのまま外に見せたら他人にはまるで理解できないだろう。
だから、人に説明するときは一つのわかりやすい道筋で説明することになる。ここの
ところで求められるのが論理的であること。物事を考えて創造する時に一筋の論理線上でまとめ上げるようなことは本当は整理段階の作業に過ぎないのではないだろうか?
人間が頭の中で思考をめぐらせている状態は混沌としている。混沌の中から可能性のありそうな概念を引っ張り出す。そして考えを 組み立てなおして人に説明することになる。
ここの、組み立てなおし部分が論理的であるべきところだ.人あるいは自分をも納得させるための編集段階になって論理的な後付けの説明が出てくる。しかしそれは納得させやすいだけであって事実を説明しているとは限らない。
論理を超越した混沌の中での迷いや思い悩みや経験との結び付けから生まれるのが直感かもしれない。その直感をもとに行動するのが伝統的な職人。人への説明以前に大事なのは思考することであり、その思考をもとに実際に行動しまた考えること。職人のやりかたは現代でもヒントを与えてくれそうだ。
論理重視や知識主義は西欧で生まれた学術主義。これが学歴偏重につながっている。そういうことはコンピュータに任せて人間はもっと感性を磨くのがよさそうだ。

並三ラジオ2019年03月05日

並三ラジオを物置から引っ張り出してきて電源を入れてみた。最初は何も聞こえなかったがちゃんとアンテナを付けて同調バリコンを回してみるとローターが錆で接触不良のためガリガリ雑音が出る。何度も回して回転部を馴染ませるとNHKが聞こえてきた。再生バリコンを回すと音が大きくなり若干ハム音はあるがよく聞こえるようになった。
以前、懐かしのラジオを作りたくなって手持ちの部品をかき集めて作ってみたのがこのラジオ。最初5球スーパーを目指したがIFTや6WC5用のUTソケットなどがどうしても手に入らず、妥協してストレートラジオになった。検波管6C6,出力管42。整流はシリコンダイオードのため正しくは並3ではなく並2というべきか。これでラジオ深夜便を聞いてみよう。

高齢化について2019年03月06日

人は高齢になると何故急速に老化するのか? 原因は色々あるだろうが、高齢化により外界との接触頻度が低下するためこれに関与する機能を活性化する必要が無くなることがさらに老化を促進するという悪循環が一因かもしれない。
人間の先祖は昔、海から陸に上がったことにより、外界からの各種の汚染物質、例えば花粉や埃、異物等に対抗できる性質を身につける必要が生じた。このために、外部刺激に対する免疫機能が強化された。しかし、高齢化することにより、外界に出る頻度が低下すると、外部刺激量が低下するため、免疫機能もそれほど必要としなくなり、低下していくという。
それなら高齢者はもう世の中から必要とされない存在ということを意味しているのだろうか?
ある研究で面白い結果が得られている。高齢者は外部に対する免疫機能が低下していくが、逆に内部の自己免疫機能は活発に維持されるというのである。高齢化により、外部よりも内部の自己の体の中に癌細胞などの異物が生じやすくなるために、これらに打ち勝つための自己免疫機能は強化されていくそうである。このことは、高齢化し老化する結果世の中から必要とされなくなるのではなく、生き続けることが求められていることの証かもしれない。

自己免疫機能を高めることにより、生存確率を上げようとする意味は何か?それは、長い人生での努力を通じて得られた知識や経験・知恵を後世に生かし、伝えるためと思いたい。老人に課せられた義務は、自分がこれまでに獲得した知恵を惜しみなく若い人たちに残し、伝えることなのだろう。

環境汚染の記憶2019年03月07日

子供のころの記憶で曖昧になってしまったが、もう60年近く前になる1961年頃、市内の河川の魚がある日突然大量に浮き上がり、白い腹を見せて死骸が累々と続いて流域が白くなるほどだった。
この川は、沢山の魚や水生生物が生息して子供から大人まで釣りを楽しむような良い川だった。それがたった一日で死の川になってしまった。それ以降、この川には何十年も全く魚が棲まず、ようやく近年鯉などの汚染に強い魚が見られるようになってきた。
この生態系の突然死は流域の上にある工場からもたらされた。恐らく廃液の処理設備が故障して大量のシアン化合物が川に流出したのだろう。この工場の下流数キロm以上に渡って殆どの魚が死滅したのだから想像できないくらい大量のシアンが流出したのだろう。当時は高度成長時代の始まり頃であり、環境汚染問題よりも産業の発展が優先されていたのか、この事件は新聞等でも特に問題となることはなかったようだ。
今だったら大きな事件として記録に残っただろうが、残念ながら当時の記録はどこにも見つけられない。(写真は廃液流出点から4kmくらい下流の現在の川)

真空管式メインアンプ2019年03月08日

昔作った真空管式アンプを整備しようと出してきた。4台もある。
写真で左の2台は6CA7三結pp、右の2台は6GB8UL接続pp。
モノーラル2台一組で使うように構成している。左の2台は兄に作ったものであるがもう片付けたいというので預かっている。右の2台は自分用に作って使っていたもの。大きくて重すぎるので今の時代には合わないがまだ十分使える。トラブルはカップリングコンデンサーのリークがあって交換したことぐらい。今は置く場所がないが棚を工夫して使えるようにしたい。たまに真空管のヒーターの灯を見ながらレコードを聴くのもいいかもしれない。

毀誉褒貶2019年03月09日

先日エコキュートのセールスが来た。旧式の灯油式給湯器をいまだに使っているのを見て、灯油を補給するのは面倒でしょうとエコキュートのメリットを挙げて強く勧誘してきた。
しかしエコキュートはいまだに評価が定まらない技術に思える。
エコキュートはもともと原子力発電の夜間余剰電力を緩和するのに極めて有望な技術ということで開発が始まった。地球温暖化対策としては電力を化石エネルギーに頼らず、自然エネルギーや原子力エネルギーによるのが理想的だが、原子力発電は昼夜にかかわらず一定の発電量を保つ。このため余剰となる夜間電力で湯を沸かすのは極めて合理的。その際、COP(エネルギー消費効率)の高いヒートポンプを使うことで理想的な給湯器が作れるという期待の星だった。しかし原発事故により原子力発電そのものが否定されるようになってエコキュートは梯子を外された形になった。
発電量調整が可能な火力発電や昼間だけしか発電できないソーラー発電では夜間電力利用は意味がなくなる(ただしソーラー発電と組み合わせる場合、夜間炊き上げでなく昼間の炊き上げに変えることで生かせる可能性はある)。
さらに貯湯式であることで生ずる幾つもの不都合や、深夜駆動時の振動騒音などが評価を落とす。そしてヒートポンプという機械方式であることによる故障や整備の頻度増加や設備の寿命対コストの課題もある。大きな貯湯タンクのスペース占有にも抵抗がある。エコキュートにも良い点はあるのだが、これらの問題の解決を待ちたい。

プラグマティズムの陰り2019年03月10日

アメリカで生まれたプラグマティズムは行動を思考の上位に置いた。理論や知識は単なる道具であり、行動することが一番大事であるという考え方。日本の経済産業や科学技術の発展も同様な思想によって進展したと言えるだろう。この実利主義とも言うべき思想は実績を生み出し、近代日本の繁栄を招いた。しかし近年、日本の経済も活力が減じ、環境問題などがクローズアップすることで科学技術の恩恵だけではなく弊害が問われるようになってきた。もはや科学技術をかつてのように諸手を挙げて受け容れるという時代ではなくなりつつある。
現代は世界を発展させたそのプラグマティズムの負の側面が少しずつ広がってきているように思える。どんなに優れたものでも、その優れた面が仇となって滅亡へと向かうことは歴史が証明している。発展の一方で豊かな自然が失われつつあり、人間は仕事に追われる画一的な生活となってしまった。これからはもっと多様でゆっくりとした生き方を指向する時代が求められそうだ。