ベトナム(続き) ― 2025年01月29日
昨日ベトナム戦争について書いた後、当時ベトナムからSWLカード(こちらの無線信号を受信しましたという受信カード)をもらったのを思い出した。
小一時間手元のカードを引っ掻き回してやっと探し出すことができた。
VIETNAM CONG HOA とある。これはベトナム共和国の正式名称で所謂南ベトナムのこと。
日時は1968年6月8日1537GMTと記されている。1968年はベトナム戦争の一番激しい時期だった。受信者は南ベトナムに送られていたアーカンソー出身のアメリカ人兵らしい。
休憩時間に短波を聴いていたのだろう。
当時はもちろんベトナムでアマチュア無線は許可されておらず、受信のみが許されていたようだ。受信機はドレーク2Bでアンテナは30フィート長のワイヤーとある。
この人はアメリカのW5-10353というSWLナンバーを持っていて母国では短波受信が趣味だったようだ。QSLカードをアーカンソーの自宅に送ってくれとある。その後無事に自宅に戻れただろうか。
当時は私も竹で作った貧弱なキュビカルクワッドアンテナで21MHzに出ており、やっと海外まで電波が飛ぶようになった頃だ。
ベトナムは長くアマチュア無線が禁止されていたが、復興後は許可されて運用局も増えている。
小一時間手元のカードを引っ掻き回してやっと探し出すことができた。
VIETNAM CONG HOA とある。これはベトナム共和国の正式名称で所謂南ベトナムのこと。
日時は1968年6月8日1537GMTと記されている。1968年はベトナム戦争の一番激しい時期だった。受信者は南ベトナムに送られていたアーカンソー出身のアメリカ人兵らしい。
休憩時間に短波を聴いていたのだろう。
当時はもちろんベトナムでアマチュア無線は許可されておらず、受信のみが許されていたようだ。受信機はドレーク2Bでアンテナは30フィート長のワイヤーとある。
この人はアメリカのW5-10353というSWLナンバーを持っていて母国では短波受信が趣味だったようだ。QSLカードをアーカンソーの自宅に送ってくれとある。その後無事に自宅に戻れただろうか。
当時は私も竹で作った貧弱なキュビカルクワッドアンテナで21MHzに出ており、やっと海外まで電波が飛ぶようになった頃だ。
ベトナムは長くアマチュア無線が禁止されていたが、復興後は許可されて運用局も増えている。
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