読書 人間の建設2019年05月05日

古い本である。五十数年前に学校の先生の話を聞いて購入したが内容の記憶は殆どない。最近ある人からこの本を読んだ話を聞いたので、たしかその本は家にもあったなと思い、書架から出して読んでみた。内容は数学者岡潔と文芸評論家小林秀雄の対談。分野がまるで違う二人の話が噛み合うのか興味もあって読み進める。岡潔は聞き分けのない子供のように持論を話し、小林は戸惑いながらも多少大人でリードしようとする。まるでシャーロックホームズとワトソンのよう。難解な点はあるが数学者岡潔には多少関心もあったので我慢して読んでみた。岡潔は存外自然科学特に物理学には含むものがあるようで偏見にも似た言い方をする。「破壊だけの自然科学」という章では、アインシュタインが物理的公理体系を観念的公理体系や哲学的公理体系に変えてしまったと主張する。現在の物理学は数学者が数学的に批判すれば物理的ではないと言う。その辺のところは本当はどうなのか素人にはさっぱり分からないが、アインシュタインは古典物理学最後の人で理論と実験観察による検証の考え方は厳密であり、岡潔の言うようなものと随分違う気がする。さらに岡は原子爆弾を事例として挙げて自然科学は破壊しかしていない、建設は何もせず、しているのは破壊と機械的操作だけだと自然科学否定論を展開する。そして今の科学文明は自然にあるものを掘り出して利用する借り物であって自分で作ったものではない。建設はなにもできないのだと主張している。アインシュタインは井の中の蛙だとも評しているが彼自身それを認識していると思うので蛙とは違うのかなと思える。読んでいて抵抗を感ずる部分が多いが、当時の知性がどのようなことを考えていたのかを知る参考にはなったかも知れない。何のことはない只の頑固爺の会話とも思えなくはない。最後に理性について語っている。理性というものは対立的機械的に働かすことしかできないし、知っているものから順々に知らぬことに及ぶ働き方しかできない。ところが知らないものを知るには飛躍的にしかわからない。だから知るためには捨てよと言う。これが数学者岡潔の道理かもしれない。岡は言う。理性は知らないものを知ることはできない、だから理性の中を泳いでいる魚は自分が泳いでいるということがわからない。 なるほどね

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