無為自然という思想2019年05月07日

実在したかどうかはわからないが紀元前6世紀頃の思想家老子の考え方。儒教の仁義礼を退けて人為を捨てた無為自然を説いた。器は中の空の部分が大事であり、車輪は中心の孔の空いた部分が要になる。無や空があるから有が生きると言う。日本では中世に鴨長明という人がいた。彼の方丈記では諸行無常を説いていて無為自然ではないが、方丈の小さな庵で何も持たないストイックな生きかたは“無いこと”への肯定感がある。またすぐに思い浮かぶのがビートルズのLet it be 。これは、僕が悩んでいる時に聖母マリアが現れてありのままでいいよと囁く という歌詞。キリスト教の風土を知らないので本当の意味はまた違うのかもしれないが、人の世の住みにくさもまた文化や宗教を越えた普遍的な憂苦だろうか。社会の道義に疲れたときにはなにもせず流れに身を任せるという姿勢も良さそうだ。老子はまた、道可道非常道 (これが道だというものは本当の道ではない)と言っている。