日本国憲法2020年03月16日

政府や新聞などによる巧みな危機感の醸成によるのか憲法改正に賛成だと言う人は案外多い。しかし憲法の本質は国家権力が暴走しないように権力側を縛って国民の人権を守る点にある。従って国民が憲法改正に賛成することは羊が狼の鎖を解いてやるような怖さがある。先日、首相による緊急事態宣言 を可能とした改正新型インフルエンザ等対策特別措置法が施行された。首相による緊急事態宣言というとヒトラーによる大統領緊急令を連想してしまう。当時最も民主的と言われたワイマール憲法には国家の緊急事態の場合には国会審議を経ずに大統領が緊急令を発動できる脆弱な条項があった。ヒトラーはそれを巧みに使って民主主義を合法的に抜けくぐり、独裁の道を切り開いた。狼の鎖の一部に外せる隙間があったということだろうか?これに対し日本国憲法はもっと強靭で、その鎖を簡単に外す隙間はない。しかし、これも巧みな言葉で媒体を使い、国民という羊に民主的に鎖の鍵を外すよう誘導することは可能である。そうでなくとも日本国憲法は抽象的な理念や概念によって構成されており、憲法を改正しなくとも必要な法律は制定可能である。
旧憲法は天皇を根本原理としているのに対し、日本国憲法は主権在民と平和を基本原理に置いている。しかしその日本国憲法においても天皇は象徴と規定されることで継続しており、その存在の曖昧さが長く議論を呼んできた。この点で日本国憲法は高邁な基本原理に旧憲法の改変を組み合わせた折衷案とも言えるような革新性と保守性が同居している。日本国憲法の異質さは本来憲法を擁護すべき保守系が改憲を主張し、一方で第九条を守ろうとする革新系が天皇制の廃止に向けて改憲を主張(近年は民意を考慮して革新系も天皇制容認の方向に変わっている)するという、保守革新双方が別の目的ではあるが改憲を志向するという奇妙なものだった。日本国憲法は少なくとも発効以来改正されたことがない。これは第96条による改正抑止効果もあるが、それなりに普遍性という点で成功している理想憲法なのだろう。簡単に改変できたり抜け道のある憲法はたしかに緊急な事態に迅速な対応を可能とするが、それはまた悪意によっても簡単に国民に牙をむくものになり得る。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック