スバル3602022年05月09日

昔、我が家の合い向かいに富士重工伊勢崎製作所第二工場という大きな工場があった。昭和30年代初頭にその敷地の一角にあった実験室でスバル360の開発が行われた。私がそのことを知ったのは随分後の話で当時は近所の人達さえも誰も知らなかったろう。開発は随分苦労したようで例えばトーションバーが疲労破壊して材料や熱処理の変更を行いながら何度も何度も耐久試験を繰り返したなどの話を聞いたことがある。スバル360の開発拠点がなぜ伊勢崎だったのか?これは私の想像だが伊勢崎市には板垣サンライトという当時は有名な自転車オートバイの製造会社があった。自転車オートバイというのは自転車に小さな2サイクルガソリンエンジンを取り付けて回転軸を自転車後輪のタイヤに押し付けることで摩擦により動力を伝達する原始的な原動機付き自転車だった。板垣サンライトは日本有数の自転車オートバイメーカーであったがやがて本田技研などに追い抜かれて経営不振に陥り倒産した。しかし板垣には優秀なオートバイの設計開発技術者が多く居て彼らは他の企業に移り、その後も活躍した。その中で富士重工に移った人たちが伊勢崎第2工場でスバル360の研究開発に携わり、伝承された板垣の技術が開発成功を導く要因になったと考えられる。私も小学生の頃、板垣の自転車用エンジンの中古品を手に入れて毎日分解組立して遊んだ思い出がある。
その富士重工伊勢崎第2工場も今は無く、跡地がスーパーマーケットに転用されている。そこの片隅にスバル360開発拠点であったことを記したモニュメントが残っており、上の画像がそれである。

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