世の中の住みにくさ2020年02月01日

鴨長明の方丈記は書き出し部分が有名だが、中ほどに次のような文がある。    
すべて世のありにくきこと、わが身とすみかとの、はかなくあだなるさまかくのごとし。いはむや所により、身のほどにしたがひて、心をなやますこと、あげてかぞふべからず。もしおのづから身かずならずして、權門のかたはらに居るものは深く悦ぶことあれども、大にたのしぶにあたはず。なげきある時も聲をあげて泣くことなし。進退やすからず、たちゐにつけて恐れをのゝくさま、たとへば、雀の鷹の巣に近づけるがごとし。もし貧しくして富める家の隣にをるものは、朝夕すぼき姿を耻ぢてへつらひつゝ出で入る妻子、僮僕のうらやめるさまを見るにも、富める家のひとのないがしろなるけしきを聞くにも、心念々にうごきて時としてやすからず。もしせばき地に居れば、近く炎上する時、その害をのがるゝことなし。もし邊地にあれば、往反わづらひ多く、盜賊の難はなれがたし。いきほひあるものは貪欲ふかく、ひとり身なるものは人にかろしめらる。寶あればおそれ多く、貧しければなげき切なり。人を頼めば身他のやつことなり、人をはごくめば心恩愛につかはる。世にしたがへば身くるし。またしたがはねば狂へるに似たり。いづれの所をしめ、いかなるわざをしてか、しばしもこの身をやどし玉ゆらも心をなぐさむべき。(青空文庫より引用: https://www.aozora.gr.jp/cards/000196/files/975_15935.html
文章が比較的平易なのでそのままでも頭に入るが自分なりに解釈すると大体次のようになるだろうか。
                       
この世は全てのことが面倒で、我が身も住んでいる家も儚いもので空しいのはかくの如きものだ。いわんや所により自分の身の程に従いつつも心を悩ますことは数え上げたらきりがない。もし自分の身が数えるほどでもない者が権勢高い家の隣りに住んでいたなら深く喜ぶことはあっても大いに楽しむことはできない。泣きたい時でも声をあげて泣くことはできない。進退もままならない。日常の生活についても気を遣う様は例えば雀が鷹の巣の傍で暮らすようなものだ。もし富裕な家の隣に住む貧者がいれば朝夕自分のみすぼらしさを恥じてへつらいながら出入りすることになる。妻子や使用人が隣を羨ましがる様子を見ても、富裕な家が人を侮って無視する様子を聞いても心が乱れ安らぐことはない。もし狭い混んだところに住んでいるなら近くで火事が起こったらその災いから逃れられない。もし辺地に住むなら行き来が大変だし盗賊に狙われる恐れもある。また勢いのある者は貪欲だし、独身であれば軽く見られる。財産があれば心配ばかりしなければならないし、貧しければそれを嘆く。人に頼れば自分が人の言いなりになってしまう。人との関係を育めば心が愛情に支配される。世間に合わせれば身が堅苦しい。世の中に従わないと変人扱いだ。どのような場所で、どのようにすれば、しばしもこの身を休め短い時間でも心を安らぐことができるのだろうか。

800年前の人の思いも現代に生きる人間の悩みもあまり変わりがない気がする。

Neanderthal DNA2020年02月02日

プリンストン大のLu Chenらが最近Cell誌に発表した論文はネアンデルタール人のDNAに関する従来の学説を覆すものだった。従来の説では6万年位前にアフリカを出たホモサピエンスはユーラシア大陸に渡りネアンデルタール人と混血した。その結果現代人の遺伝子にはヨーロッパ人とアジア人に2%くらいのネアンデルタール人のDNAが残っているがアフリカ人にはネアンデルタール人のDNAは無いというものだった。しかし、今回ChenらはIBDMixという新しい遺伝子解析法を開発した。この方法によれば、ヒトゲノムは30億個の塩基対から成っているがヨーロッパ人はネアンデルタール人のDNAと一致する5100万個の塩基対を持ち、アジア人は5500万個を持つ。そしてアフリカ人は1700万個を持っていることが判明した。これはホモサピエンスとネアンデルタール人との交配に関する従来の予測と全く異なるものだった。今回の結果から次のような流れが考えられる。アフリカに住むサピエンス人達はおよそ20万年ほど前にアフリカからユーラシア大陸に渡り、ネアンデルタール人と遭遇し一部交配した。その人たちの一部はその後再びアフリカに戻って純粋種のサピエンス人と交配することで全てがサピエンス人とネアンデルタール人の混血種となり純粋なサピエンスは居なくなった。人類の移動は一方向の伝播ではなく、20万年の間何度も行き来が繰り返されることで現代人のDNAは従来考えられていたものよりずっと似通ったものになった。外見は人種によって大きく異なっても中身は人種間で殆ど違いがないと言えるだろう。

自転車へのライト取付け2020年02月04日

以前復活させた折り畳み式自転車(GRANDTECH27)はとても調子が良いが一つ問題があった。それはライトが付いていないため日没後の走行ができないこと。市販のライトを買って取り付ければ済む話だがそれでは面白くないので手元にあるもので工夫してみた。ライトは家に備えている普通の懐中電灯を利用できるようにした。マウント部分はジャンク箱にあった取付金具にアルミ板で懐中電灯用台座を作り、その上にゴムチューブを挟んでクッションにした。マウント部は自転車のハンドル部分に取り付け、ライトの光軸は水平垂直方向に調整でできるようにした。ワンタッチで取り外し可能なため不要な時は重いライトを外しておけるし懐中電灯としても従来通り使える。心配なのは懐中電灯が単一電池2本式のものであるため質量が大きく耐振性がどうかという点。取り付け後実走テストを繰り返して走行振動を与えてみたが今のところ特に問題はない。かかった費用はゼロ円。見てくれはあまり良くないがこれで夕暮れ過ぎまで心配なく走れるようになった。

フェルミのパラドックス2020年02月08日

地球のような惑星が宇宙に多く存在するなら知的生命体は宇宙に多く存在し、その中のいくつかは地球に到達している筈であるのに彼らはどこにいるのか?という疑問はフェルミのパラドックスと呼ばれている。これに対する解釈は幾つもある。その中で、そもそも地球以外には知的生命体は存在しないという説がある。これを裏付けるような計算結果が最近、東京大学の戸谷教授から発表された。
宇宙で生命がどのように発生するのか。高度な遺伝情報を持った生命体が生物のまだ存在しない状態から偶発的に生まれる確率は極めて小さいと考えられてきた。一方宇宙は地球から観測可能な距離138億光年のさらに彼方まで拡がっていることが分かっている。この広大な宇宙のどこかで生命が生まれたことは、今この地球上に生命体が存在することから自明である。生命が存在しなかった頃の宇宙にどのようにして生命体が生まれたのか?生命の起源に関して有力なのはRNAである。地球上の生物は遺伝情報を主としてDNAが持ち、代謝などは蛋白質が担っている。RNAはその2つの機能を1つで持っていることから最初の生命はRNAから始まったという説である。しかし生命活動ができるほどの複雑な分子連鎖を持つRNAが偶然できる確率は低過ぎて実際には起こり得ないとされてきた。インフレーション宇宙論によれば宇宙は138億光年を超えて拡がっている。一方生命誕生に必要な長さのRNAはヌクレオチドと呼ばれる分子が最低でも40個以上程度繋がる必要があると言われている。戸谷教授は、生命体の存在しない地球型惑星でヌクレオチドがランダムに結合し、生命誕生に必要な長さと情報配列を持つRNAが生まれる確率と、宇宙の中の星の数を結びつける方程式を作った。これで計算した結果40個の情報配列を持つRNAが偶然生まれるためには宇宙の星が10の40乗個ほど必要になることが分かった。一方、観測可能な宇宙の範囲における星の数は10の22乗個程度に過ぎない。この範囲を超えた宇宙の拡がりを含めてやっと1つの偶然が生まれるという計算結果だった。地球上の全ての生命は同じ起源の1つの原始単細胞から始まったことがその遺伝子配列から分かっている。これらの結果から138億光年程度の範囲の宇宙では知的生命体どころか原始的生命が生まれる可能性は現在の地球の生命体以外の起源のものはないという推論が生まれる。ただ今回の計算の前提としたランダムな反応による以外の別プロセスがありうるとすればその確率は変わってくるようだ。
出典:https://www.nature.com/articles/s41598-020-58060-0

下植木長尾氏屋敷跡2020年02月14日

散歩コースにしている粕川の土手の反対側にこの屋敷跡があり、堀だけが残っている。館の跡地には樹々が鬱蒼としており、夏には蝉の声が沢山聴こえる。設置されている説明看板によれば、16世紀頃の戦国時代、武家の長尾景治という人物がこの一帯(伊勢崎市の南東部)を治めてここに屋敷を作ったとある。残っているのは写真の逆堀と呼ばれる堀だけだが、この堀は名前の通り流れの方向が変わっている。すぐ脇を流れる粕川は北から南に流れているが、この堀は逆に南から北に向かって遡上するように流れていてちょっと不思議感もある。今の季節は残念ながら水が足りなくて流れは見られないが季節によりその流れが観察できる。構造的には流れの勾配をうまく設計すれば可能だろうが、説明看板を見ても何故流れを逆にしたのかという目的の説明は書かれていない。以前に聞いた話では堀の流れ方向を反対にすることで、ここを攻めてきた敵が方角を勘違いして混乱するように工夫されているということだったと思う。しかし、堀の流れ方向を反転させたくらいで本当に守りの効果があったのかについては分からない。このような逆流れの堀を作った例は他には国内でもあまり見当たらないようだ。

電気の検針2020年02月17日

毎月電力会社の人が検針に来る。検針の期間を見ると27日~33日位の間でばらついている。検針する人の都合で検針日は多少ずれるのはわかる。しかし試みに過去3年間のデータを取ってみたらある傾向が認められた。過去3年間でひと月当たり33日の場合が9回あった。このうち6回つまり67%が1月と8月の検針に集中している。1月と8月はエアコンの稼働時間が多く、電気使用量も1年間のピークになる時期である。一方、従量電気料金は家庭用では使用量に応じて通常3段階に分かれる。東京電力の場合、第一段階は120kWhまで1kWh当たり19円43銭、第二段階は300kWhまで同25円91銭、第三段階は300kWh以上が同29円93銭というように料金ランクが上がっていく。従って電力会社としては使用量の多い月には上位段階まで使ってくれれば料金率を上げられる。つまり1月や8月などの使用量の多い月は1か月を暦通り30日や31日でなく33日にして積算量を上げたほうが余計に儲かる確率が上がる。電力会社がそこまで姑息な計算をしているかどうかはわからないので憶測にすぎないが。

新型コロナ肺炎禍2020年02月21日

新型コロナウイルス感染に対する厚労省の見解や対応は混迷を続けている。最初は人から人への感染無しから始まり、その後接触感染や飛沫感染はするが空気感染はしないという見解に至っている。しかし最近中国からはエアロゾル感染の可能性も出されている。問題の正しい理解のためには現場の状況をよく観察する必要があり、そこから理屈で考えることが解決の第一歩である。クルーザー船などでの感染状況を見ると、手洗いやマスクなどの注意をいくら行っても防ぎきれない状況が見えてくる。これは感染経路が接触や飛沫と理解されているために防ぎきれていない可能性も考えられる。クルーザー船のような閉じた空間では空調が行われており、空気は各室を循環している。もし空気感染が起こっていると考えればクルーザー船や乗り物等で非常に感染率が高い状況を良く説明できる。マスクをしても手洗いしてもまだ感染が広がっていることも説明できる。空気感染はないという専門家の考え方が事態の甘い見通しに繋がっている。これにより各種集合行事も殆ど規制しない緩さが今後の感染拡大の可能性を拡げているだろう。エアロゾル感染というのは飛沫の水分が減って核が空中に長く漂いやすい状態での感染を言うが、これは限りなく空気感染に近いと言える。エアロゾル感染があるということは空気感染も否定できない筈である。特に今回は新型であるため抗体も出来ておらず、僅かなウイルス量でも感染しやすい状況だろうから空気の中に少量のウイルスが含まれるだけでも感染しうることは十分考えられる。それならば冬の乾燥時期の今、公共物や店などの密閉された空間での空調は十分な注意が必要であり、フィルタの性能の吟味や空気循環の停止や十分な換気なども考慮する必要がある。行政側としては国民の不安が広がらないようできる限り抑制した発表にしているのだろうが、これが結局日本国内の楽観的な見方を醸成している。しかし新型ウイルスというものは何であるかがまだ分かっていないのだから臆病になるほうが合理的であり、危険を回避できる可能性も高まる。これで過剰な防御となったとしても悔いはない筈。当初、武漢からの旅行客を簡単に入国させてしまった行政の楽観性が早い感染拡大の大きな原因になっている。特に体温37.5℃以上という緩い判定基準は、中年以降高齢なほど体温が低く発症してもあまり体温が上がらないことを考えれば感染者を通過させてしまった重大要因になっている可能性がある。事態の進行に追随するだけの楽観的で科学的でない後追いの行政がこの国の対応方向性を誤る根源と言えるか。