自然科学と信仰2019年05月10日

前にも書いたが、神話は科学ではなく、信仰を基とする物語である。一方、科学とは自然の構造や現象などを客観的に解明しようとするものである。ガリレイやダーウインが新しい科学的知見を唱えたとき、キリスト教会は聖書の教えに背くものとして非難したが、これは宗教と科学の立場がもともと根本的に違うことを理解していないことから来る誤りである。宗教は元来 人間の主観から作られた神話が始まりであるのに対し、科学は人間の主観を排除した上に見えてくるものである。この2つを同列で論じる事自体が間違っている。人類は古来より自然の驚異に畏れを抱き、その環境の中で生活する自分たちも特別な存在であると考えてきた。それが宗教に繋がっている。しかし科学による解明が進むとともに、人間は自然の中でそう都合の良いものばかりではなく、ちっぽけな存在でしかないことが次第に明らかになって現代に至る。一方、自然科学の中に神を想定する議論もある。それは自然の摂理や宇宙にまで及ぶ自然法則、物質組成や物理定数などに一種の奇跡とも思えるような配列を読み取ることから来ている。これらの巧妙とも思われる自然法則そのものこそ神による配剤であると感じ、自然を神とする考え方もある。しかし、この宇宙が奇跡で作られたと考えず、これまで宇宙の創生と破滅が無限な回数繰り返された中で確率的に偶然生命体に合う物理定数の宇宙が生まれ、その中で知的生命体である人類も生まれたことにより宇宙を観察する存在になったと考えれば何も不思議はない。勿論人間はこの宇宙やそれを構成する物質や空間の構造についてまだまだ解明できておらず、本質を知るには永年に近い時が必要かもしれない。だが少なくとも神を想定しなくとも説明は可能だと言えるだろう。科学者が例外的に言う神はそのような偶然の産物である今の宇宙の法則そのものを指しているとすればそれを否定する理由はない。今後宇宙の解明が進むことで、我々の住む世界からとんでもなく離れた場所では現在の物理法則が適用できなくなることも考えられる。そうなれば現代科学が目指す大統一理論そのものさえまだまだ局所的な理論に過ぎないことを思い知らされるのだろうか。