選挙の騒音2026年04月23日

伊勢崎市では今、市議会議員選挙期間中だ。
家の前の道路の側部が狭い空き地になっているが、ここに以前から政治運動の演説をする政治団体が入り込む。たまに大音量で30分近く演説をやられるのに閉口していたが、この選挙期間は何回もここで大音量演説が行われる。
堪忍袋の緒が切れて市の選挙管理委員会に以下のようなメールで相談してみた。
(一部具体的な固有名はここでは伏せたがそれ以外は原文のまま)

≪市の選挙管理委員会への問い合わせ内容≫
伊勢崎市〇〇町のスーパー△の北側道脇に空き地があり、そこに候補者の街宣車が入り込んで街頭演説を行います。普段もたまに特定の党が行いますが、選挙期間に入ってここに入り込む街宣車の数も増え、演説の大音量の騒音に悩まされる頻度が増えています。
家が合い向かいになるため選挙カーのスピーカーからの音は許容できるレベルではなく、演説中は精神的におかしくなる位悩まされ苦しんでいます。市民のための政治を訴える人達が、実際は弱者を騒音で苦しめる状況です。

この空き地は侵入防止柵により車が入り込むのを防止していますが、選挙カーは侵入防止柵を解除して入り込むため無法自由状態です。
道を通り過ぎていく選挙カーの一時的な声ならば許容できますが、家の前で長時間留まって演説されるのは地獄です。

このような状況に対して何の対策もできず、泣き寝入りしなければならないのか疑問に感じています。何か対策は出来ないのでしょうか?

これに対し返事のメールが届いた
≪市の選挙管理委員会からの返事≫
各課へのお問い合わせメ−ルありがとうございました。
街頭演説における騒音問題でご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございません。
お問い合わせをいただきました街頭演説についてですが、候補者が行う選挙運動
は、公職選挙法で期間や方法が規定されております。
拡声器を使って街頭で演説を行うことも法律に基づき候補者に認められている選
挙運動の方法のひとつとなっており、音量の規制も特になく、
午前8時から午後8時まで行うことができると定められているため、大変申し訳
ありませんが選挙管理委員会で規制することができず、
また、当該空地は市の所有ではないため、使用の制限も行うことができません。
候補者が法律で限られた範囲内で有権者に訴えようとしている中で、どの程度の
音量で連呼行為等をするかは各候補者の判断となり、その良識に委ねられており
ます。選挙運動期間中は、ご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんが、何卒、
ご理解をいただきますようお願いいたします。

結果は残念ながら何もできないというものだった。

当該空き地は公有地であり、侵入禁止柵で入れないようにしているものを無理やり侵入しているので、候補者が法律で許された範囲内で運動していると言い切れるのか疑問であるが。


追記:その後は投票日まで空き地での演説は皆無だった。偶然か?
それとも何らかの注意が伝えられたのかわからないが何故か平和な
日が続いたのは不思議である。

蛙の国2026年02月22日

いつの世でも強い為政者が国民から嘱望される。それは大昔のイソップの寓話でも描かれている。

カエルの国では国民が王様を欲しいと神様にお願いした。神様は板切れをカエル達に与えた。しかし何もできない板切れに不満を持ち、カエル達は再び神様にもっと強い王様が欲しいと訴えた。そこで神は蛇をカエル達の王様とした。強い蛇はカエル達の希望にピッタリで皆が大喜びし、カエルの国の王様となった蛇の支持率は80%にも上がった。
しかしその後カエル達は蛇に食べられてカエルの国は衰退した。
残ったカエルは、まだ何もできない板切れのほうがましだったと嘆いた。

世界情勢が不安な時代は強い指導者の人気が上がるのは当然だが、その結果の最終責任は結局それを選択した国民が負う事になる。太平洋戦争の初期は国民がこぞって当時の軍事政権を賛美し称えた。ドイツでも独裁者の登場は国民が待ち望んだものだった。国民が待ち望むから忌わしい政権も生まれる。そしてずっと後になって国民は自分達が被害者であったような振りをする。決めたのはポピュリズムに乗った自分達であったのに。

国民の選択が正しかったのかどうかはずっと後の歴史でしかわからない。だからせめて世間での人気や風潮に乗せられるのではなく、一人一人が自分の頭で将来の行方を深く洞察して判断することが大事である。

映像の世紀 ベトナム勝利の代償2025年01月28日

1月27日NHKで放送されたものを観た。ベトナムの自由独立に向けた30年間の悲惨な闘いを描いている。記憶に留めるためその概要をここにまとめておく。

1900年頃のベトナムはフランスの植民地で資源が搾取され、人民は奴隷のように低賃金で働かされていた。若きホーチミンはフランスで祖国ベトナムの独立を目指す地下活動を続けていた。1940年には日本もベトナムに進出してフランスと日本の双方から支配される。
1945年日本の太平洋戦争敗戦直後にホーチミンはベトナムを掌握し、一旦は独立を宣言した。しかしフランスはベトナムの独立を認めず、フランスとの戦争が始まる。

強力な軍備のフランス軍と弱小のベトナム軍の激しい戦いの結果、戦略と戦術に優れたベトナムが予想外の勝利。和平協定の結果ベトナムは北と南に分断された。
北はホーチミンの社会主義政権が掌握し、南はアメリカが支援する傀儡政権が擁立された。
アメリカは南ベトナムに軍事支援を進め、北ベトナムは南に人民軍を送り込むと共に南の民族解放運動を支援してアメリカと戦うことになる。

ホーチミンは日本のジャーナリズム、日本電波ニュース社に西側で唯一報道を許した。
その狙いは戦争の実態を米国民にも伝えることで米国内の反戦意識を高めることにある。
1964年アメリカはベトナム南北の争いに本格参入する。世界最強の軍事力を誇るアメリカ対アジアの弱小国北ベトナム。この戦争はゾウとアリの戦争と呼ばれた。
北ベトナムを勝利に導いたのはホーチミンが呼びかけた愛国競争運動による団結だった。

アメリカは北ベトナムを爆撃し、対する北は南に人民軍を送り込んで戦争が拡がっていく。
当初はアメリカ国民も戦争支持が多かったが1968年のテト攻勢から流れが変わってくる。
テト攻勢とは北ベトナム人民軍と南ベトナム解放戦線による旧正月の攻勢である。
南ベトナムのサイゴンを戦場とするテト攻勢は北ベトナム側の失敗にこそ終わったが、テト攻勢以降アメリカ軍の後退は続き、衛星回線の同時期開始により戦争の様子がアメリカ本国にも映像で伝えられ、アメリカ国民はその悲惨さを目の当たりにした。その結果米国内の反戦運動が高まり、結局アメリカのジョンソン大統領は北ベトナムへの攻撃を中止し、米軍はベトナムから撤退せざるを得なくなった。
1975年北ベトナム人民軍と南ベトナム解放戦線はサイゴンを陥落させて勝利した。ベトナムは統一されて、1976年サイゴンはホーチミン市と名前を変えた。

この戦争の結果、アメリカ軍は6万人が戦死。しかし一方アメリカの無差別攻撃によりベトナム側は国土の多くが焦土と化して300万人が犠牲となり、さらに米軍の枯葉剤散布により300万人が被害を受けて今も二世三世への影響は続いている。

ベトナムは自由と独立を達成できたがその犠牲はあまりにも大きかったと言わざるを得ない。この犠牲の大きさを見て思うのは、この戦争を何故回避できなかったのか?何故もっと早く終わらせられなかったのかということだ。思うにそれは大国の奢りにあったのではないだろうか。

ベトナムはその後素晴らしい経済発展を続けて現在に至っている。そして今日もまた世界で愚かな戦争が続いている。

陰謀論2024年07月20日

最近ある人から日航機123便の墜落事故原因について話が挙がった。随分古い話を持ち出すと思ったら、真相は森永卓郎によればこれまで報告されていることと違うという話。この事故については後部圧力隔壁の修理ミスによる金属疲労破断が原因で決着した筈であり、運輸省航空事故調査委員会の報告書「日航機事故報告書」及びその付録である試験研究結果で詳細が検討されている。その内容は読んでみた限り客観的論理的に検証がなされ、懐疑的な見方を差し挟む余地の少ないものに思える。航空機事故は多くの尊い人命を失う取り返しのつかない問題である。だから同じ原因による事故を再発させないよう徹底的な原因究明が必須となる。この事故から得られた知見に基づき、修理確認プロセスの見直しや隔壁が破断しても流出空気流が垂直尾翼や油圧系統を破壊しないようなフェイルセーフ設計、隔壁強化などの対策がなされた。
しかし一方、青山透子とかいう人の書いた当該事故に関する奇妙な陰謀論も出回っている。
先日本屋で森永卓郎の「書いてはいけない」という本がベストセラーで陳列されているのを見つけて、これかと思って少し立ち読みしてみたが買う価値は無いと判断した。
この本の中の日航機事故についての内容は森永卓郎の独自見解ではなく、青山透子という人の書いた本をそのまま受け売りしているだけのようだった。ネットで読者の書評を見ると随分多くの人がこの内容を信じているようなのには驚いた。裏付けの無い突飛な陰謀論だが、読んだ人が簡単に信じてしまうことにカルト宗教のような危うさを覚えた。森永卓郎は航空機事故に関し何の知見も無い素人ゆえ簡単にこのようなトンデモ話を信じてしまったのだろう。非専門家であっても知名度だけは高いから陰謀論の広告塔になってしまう。
人はなぜ荒唐無稽な陰謀論を信じてしまうのか?
事実やデータや試験解析を積み上げて原因究明した結果よりも、裏付けのない憶測や空想で組み立てた根拠薄弱な話の方が意外性があって飛びつきやすいのだろうか?

陰謀論には信憑性の高い証拠や根拠が提示されておらず話に飛躍があるという特徴がある。従ってあくまでも懐疑的批判的に捉える精神を普段から養っておくことで、このような書物に出会っても耐性を保持できる筈である。