IC7300のALC ― 2025年01月20日
IC7300のALC
250120
IC7300でSSBを運用して感じることは、どうも平均出力が小さいのではないかという点。
もちろん、音声信号波形のピーク値(尖頭値)と平均値は10dB以上の開きがあって、平均出力電力が10%位であってもピーク電力は100%位出ているということは承知している。この平均出力を上げるには音声信号を圧縮して平均値を上げることであるが、IC7300の場合はスピーチコンプレッサ(音声信号圧縮器)を動作させてもそれほど平均出力が増加しない。最初は7300のスピーチコンプレッサが悪いのかと思い、色々設定を変えたりしてみたが改善されないので、もしかするとALC(Automatic Level Control:送信機の出力自動制御)の問題か?と思い当たった。
ALCは送信信号の出力レベルを規制する装置で、通常送信機の出力を検出して設定値以上になると途中増幅段のゲインをフィードバック制御して一定値内に抑え込む機能を有する。
しかし、SSBのエンベロープ(包絡線)波形は元の音声信号波形に対応していてピークと平均の値差が大きく、エンベロープのピークで出力を抑え込んでしまうと平均出力も出なくなってしまうという問題がある。
この問題は昔から議論されていて、古くは1968年頃、増幅型ALCというものが登場して、ケンウッド(当時はトリオ)のSSB送信機に採用された。これによりSSBの信号波形は綺麗になって帯域外までスプラッターが拡がるという問題も無くなった。しかしこのために送信出力の平均値も大きく下がってどうも信号が弱いという問題が顕著になった。当時、トリオと競合していた八重洲無線のSSB送信機は一部を除き、増幅型ALCは採用せず、旧来の整流型ALCに拘っていた。その理由は増幅型ALCは尖頭値で動作するものであるのに対し、整流型ALCは平均値で動作するものであったことによる。整流型ALCの原理は、送信機の終段管のコントロールグリッドがオーバードライブになってグリッド電流が流れだすとこのグリッド電流の交流分を検出して整流し、直流電圧を生成して途中増幅段の増幅度を下げるようにフィードバックする構造である。単なる整流回路で直流化してそれをCとRで構成する時定数回路で受けるため、サージ的なピーク電圧ではなく、出力の平均値変動に比例する平均値電圧となる。このため音声のピークではなく平均値に対してALCがかかるから結果として平均値をある程度上げることが可能であった。但しこのため、波形に歪が生じやすく、SSBの信号波形歪も若干増えて帯域外まで広がるスプラッターも増えることになる。当時の有名なALC論争ではトリオの増幅型ALCか八重洲の平均値ALCかが議論の一つになった。波形の上からは増幅型ALCが望ましいが、平均出力の点では平均値ALCのほうがトークパワーが高く取れる。八重洲無線は終段管のグリッド電流を全く流さないようにすることよりも、多少グリッド電流が流れてもその動作点まである程度の直線性を維持することで整流型平均値ALCを採用し、帯域外のスプラッターを許容値内に収めながら平均出力も高く維持するという実用的な方法を選択した。当時は八重洲無線がSSB技術で長じており、その論理が実用的であるようだった。
なぜこのような古い話を挙げたかというと、現在でも状況があまり変わっていないからである。
IC7300のALCは1968年当時のトリオの送信機と同様にピークを抑え込む尖頭値ALCであり、平均出力が低いのも同様である。
IC7300のALCはある意味優秀で、どんなに短いサージやピークでも完全に抑え込みを行う。この抑え込み電圧は発生後ある時間維持されてその間は送信出力が低下する。従って音声のピークのあとのエンベロープは低い振幅のままに抑えられるから平均値全体が低くなってしまう。つまりALCと言っても、音声のピークで出力レベル設定値を超えないようにレベル制限するだけで信号全体が低いレベルに抑え込まれるだけのものとなる。
これを解決するには瞬時のサージは無視するような時定数のALCにするしかない。そうすると今度は瞬時のサージが大きくなって波形歪の原因になるから、サージの抑え込みと平均値確保の両面を満足するような妥協値を見出すのがベストだろう。
この問題は以前も当ブログでIC7300の受信AGCの応答性の問題として挙げているが両方共本質的には同じ問題である。
一番望ましいのはスピーチプロセッサでサージを除いた圧縮度の高い音声エンベロープ波形を生成することかもしれない。
この問題についてネットを調べてみたが、ポーランドのSP3RNZのブログにALCの応答性を悪くする解決策があったので付しておく(#1)。
この種の改造は技適から外れる恐れと余計なスプリアスを生ずる恐れもあるので実行は勧められない。
参考文献
#1 Icom IC7300 average power MOD
https://sp3rnz.blogspot.com/2017/01/icom-ic-7300-ssb-power-mod.html
250120
IC7300でSSBを運用して感じることは、どうも平均出力が小さいのではないかという点。
もちろん、音声信号波形のピーク値(尖頭値)と平均値は10dB以上の開きがあって、平均出力電力が10%位であってもピーク電力は100%位出ているということは承知している。この平均出力を上げるには音声信号を圧縮して平均値を上げることであるが、IC7300の場合はスピーチコンプレッサ(音声信号圧縮器)を動作させてもそれほど平均出力が増加しない。最初は7300のスピーチコンプレッサが悪いのかと思い、色々設定を変えたりしてみたが改善されないので、もしかするとALC(Automatic Level Control:送信機の出力自動制御)の問題か?と思い当たった。
ALCは送信信号の出力レベルを規制する装置で、通常送信機の出力を検出して設定値以上になると途中増幅段のゲインをフィードバック制御して一定値内に抑え込む機能を有する。
しかし、SSBのエンベロープ(包絡線)波形は元の音声信号波形に対応していてピークと平均の値差が大きく、エンベロープのピークで出力を抑え込んでしまうと平均出力も出なくなってしまうという問題がある。
この問題は昔から議論されていて、古くは1968年頃、増幅型ALCというものが登場して、ケンウッド(当時はトリオ)のSSB送信機に採用された。これによりSSBの信号波形は綺麗になって帯域外までスプラッターが拡がるという問題も無くなった。しかしこのために送信出力の平均値も大きく下がってどうも信号が弱いという問題が顕著になった。当時、トリオと競合していた八重洲無線のSSB送信機は一部を除き、増幅型ALCは採用せず、旧来の整流型ALCに拘っていた。その理由は増幅型ALCは尖頭値で動作するものであるのに対し、整流型ALCは平均値で動作するものであったことによる。整流型ALCの原理は、送信機の終段管のコントロールグリッドがオーバードライブになってグリッド電流が流れだすとこのグリッド電流の交流分を検出して整流し、直流電圧を生成して途中増幅段の増幅度を下げるようにフィードバックする構造である。単なる整流回路で直流化してそれをCとRで構成する時定数回路で受けるため、サージ的なピーク電圧ではなく、出力の平均値変動に比例する平均値電圧となる。このため音声のピークではなく平均値に対してALCがかかるから結果として平均値をある程度上げることが可能であった。但しこのため、波形に歪が生じやすく、SSBの信号波形歪も若干増えて帯域外まで広がるスプラッターも増えることになる。当時の有名なALC論争ではトリオの増幅型ALCか八重洲の平均値ALCかが議論の一つになった。波形の上からは増幅型ALCが望ましいが、平均出力の点では平均値ALCのほうがトークパワーが高く取れる。八重洲無線は終段管のグリッド電流を全く流さないようにすることよりも、多少グリッド電流が流れてもその動作点まである程度の直線性を維持することで整流型平均値ALCを採用し、帯域外のスプラッターを許容値内に収めながら平均出力も高く維持するという実用的な方法を選択した。当時は八重洲無線がSSB技術で長じており、その論理が実用的であるようだった。
なぜこのような古い話を挙げたかというと、現在でも状況があまり変わっていないからである。
IC7300のALCは1968年当時のトリオの送信機と同様にピークを抑え込む尖頭値ALCであり、平均出力が低いのも同様である。
IC7300のALCはある意味優秀で、どんなに短いサージやピークでも完全に抑え込みを行う。この抑え込み電圧は発生後ある時間維持されてその間は送信出力が低下する。従って音声のピークのあとのエンベロープは低い振幅のままに抑えられるから平均値全体が低くなってしまう。つまりALCと言っても、音声のピークで出力レベル設定値を超えないようにレベル制限するだけで信号全体が低いレベルに抑え込まれるだけのものとなる。
これを解決するには瞬時のサージは無視するような時定数のALCにするしかない。そうすると今度は瞬時のサージが大きくなって波形歪の原因になるから、サージの抑え込みと平均値確保の両面を満足するような妥協値を見出すのがベストだろう。
この問題は以前も当ブログでIC7300の受信AGCの応答性の問題として挙げているが両方共本質的には同じ問題である。
一番望ましいのはスピーチプロセッサでサージを除いた圧縮度の高い音声エンベロープ波形を生成することかもしれない。
この問題についてネットを調べてみたが、ポーランドのSP3RNZのブログにALCの応答性を悪くする解決策があったので付しておく(#1)。
この種の改造は技適から外れる恐れと余計なスプリアスを生ずる恐れもあるので実行は勧められない。
参考文献
#1 Icom IC7300 average power MOD
https://sp3rnz.blogspot.com/2017/01/icom-ic-7300-ssb-power-mod.html
オートミールを試す ― 2025年01月21日

普段朝食は面倒なので、バナナやトーストなどで簡単に済ましたりすることが多い。
しかしトーストは塩分が多めで、血糖値の上がりやすさの指標であるGI値も高くてあまり好ましい食材とは言えない。
高齢になって体調の悪い部分が増えてきたが、体を維持するために朝食の食習慣を少しでも改善できないかと考えてオートミールを試してみることにした。
オートミールとは、オーツ麦を脱穀加工した穀物である。米と比べると糖質は少なく、食物繊維は多めで、GI値もマイルドな健康的食材。価格も安い。
買ってきたのはロールドオーツと呼ばれる、オーツ麦を蒸してローラーで平にして乾燥させたもの(写真)。これは普通水などに浸して加熱して食するものであるが、そんなことはせずそのまま食べてみた。最初はぱさぱさしていて味も無く、とてもそのままでは食べられたものではなかった。また失敗かと思ったが買ってきたものを捨てるわけにはいかないので減らすために食べ続けてみることにした。ロールドオーツをそのまま食べる人は居ないようだが、これを数日続けてみると意外に慣れてきた。ぱさぱさし過ぎるなら一緒に果物や牛乳なども摂ると食べやすい。よく噛んでいると中々独特な甘みも味わえてくる。一週間を過ぎると平気でそのまま食べられるようになった。
こういう物を食べていると仙人になったような気分になるが古代の人々の食生活もこんなものだったのだろうか?案外悪くないと思えるようになった。
オートミールを朝食にするようになって便通も改善された気がする。合うか合わないかは人によって違うだろうが、自分には案外相性が良いかもしれないので当面続けてみたい。
しかしトーストは塩分が多めで、血糖値の上がりやすさの指標であるGI値も高くてあまり好ましい食材とは言えない。
高齢になって体調の悪い部分が増えてきたが、体を維持するために朝食の食習慣を少しでも改善できないかと考えてオートミールを試してみることにした。
オートミールとは、オーツ麦を脱穀加工した穀物である。米と比べると糖質は少なく、食物繊維は多めで、GI値もマイルドな健康的食材。価格も安い。
買ってきたのはロールドオーツと呼ばれる、オーツ麦を蒸してローラーで平にして乾燥させたもの(写真)。これは普通水などに浸して加熱して食するものであるが、そんなことはせずそのまま食べてみた。最初はぱさぱさしていて味も無く、とてもそのままでは食べられたものではなかった。また失敗かと思ったが買ってきたものを捨てるわけにはいかないので減らすために食べ続けてみることにした。ロールドオーツをそのまま食べる人は居ないようだが、これを数日続けてみると意外に慣れてきた。ぱさぱさし過ぎるなら一緒に果物や牛乳なども摂ると食べやすい。よく噛んでいると中々独特な甘みも味わえてくる。一週間を過ぎると平気でそのまま食べられるようになった。
こういう物を食べていると仙人になったような気分になるが古代の人々の食生活もこんなものだったのだろうか?案外悪くないと思えるようになった。
オートミールを朝食にするようになって便通も改善された気がする。合うか合わないかは人によって違うだろうが、自分には案外相性が良いかもしれないので当面続けてみたい。
映像の世紀 ベトナム勝利の代償 ― 2025年01月28日
1月27日NHKで放送されたものを観た。ベトナムの自由独立に向けた30年間の悲惨な闘いを描いている。記憶に留めるためその概要をここにまとめておく。
1900年頃のベトナムはフランスの植民地で資源が搾取され、人民は奴隷のように低賃金で働かされていた。若きホーチミンはフランスで祖国ベトナムの独立を目指す地下活動を続けていた。1940年には日本もベトナムに進出してフランスと日本の双方から支配される。
1945年日本の太平洋戦争敗戦直後にホーチミンはベトナムを掌握し、一旦は独立を宣言した。しかしフランスはベトナムの独立を認めず、フランスとの戦争が始まる。
強力な軍備のフランス軍と弱小のベトナム軍の激しい戦いの結果、戦略と戦術に優れたベトナムが予想外の勝利。和平協定の結果ベトナムは北と南に分断された。
北はホーチミンの社会主義政権が掌握し、南はアメリカが支援する傀儡政権が擁立された。
アメリカは南ベトナムに軍事支援を進め、北ベトナムは南に人民軍を送り込むと共に南の民族解放運動を支援してアメリカと戦うことになる。
ホーチミンは日本のジャーナリズム、日本電波ニュース社に西側で唯一報道を許した。
その狙いは戦争の実態を米国民にも伝えることで米国内の反戦意識を高めることにある。
1964年アメリカはベトナム南北の争いに本格参入する。世界最強の軍事力を誇るアメリカ対アジアの弱小国北ベトナム。この戦争はゾウとアリの戦争と呼ばれた。
北ベトナムを勝利に導いたのはホーチミンが呼びかけた愛国競争運動による団結だった。
アメリカは北ベトナムを爆撃し、対する北は南に人民軍を送り込んで戦争が拡がっていく。
当初はアメリカ国民も戦争支持が多かったが1968年のテト攻勢から流れが変わってくる。
テト攻勢とは北ベトナム人民軍と南ベトナム解放戦線による旧正月の攻勢である。
南ベトナムのサイゴンを戦場とするテト攻勢は北ベトナム側の失敗にこそ終わったが、テト攻勢以降アメリカ軍の後退は続き、衛星回線の同時期開始により戦争の様子がアメリカ本国にも映像で伝えられ、アメリカ国民はその悲惨さを目の当たりにした。その結果米国内の反戦運動が高まり、結局アメリカのジョンソン大統領は北ベトナムへの攻撃を中止し、米軍はベトナムから撤退せざるを得なくなった。
1975年北ベトナム人民軍と南ベトナム解放戦線はサイゴンを陥落させて勝利した。ベトナムは統一されて、1976年サイゴンはホーチミン市と名前を変えた。
この戦争の結果、アメリカ軍は6万人が戦死。しかし一方アメリカの無差別攻撃によりベトナム側は国土の多くが焦土と化して300万人が犠牲となり、さらに米軍の枯葉剤散布により300万人が被害を受けて今も二世三世への影響は続いている。
ベトナムは自由と独立を達成できたがその犠牲はあまりにも大きかったと言わざるを得ない。この犠牲の大きさを見て思うのは、この戦争を何故回避できなかったのか?何故もっと早く終わらせられなかったのかということだ。思うにそれは大国の奢りにあったのではないだろうか。
ベトナムはその後素晴らしい経済発展を続けて現在に至っている。そして今日もまた世界で愚かな戦争が続いている。
1900年頃のベトナムはフランスの植民地で資源が搾取され、人民は奴隷のように低賃金で働かされていた。若きホーチミンはフランスで祖国ベトナムの独立を目指す地下活動を続けていた。1940年には日本もベトナムに進出してフランスと日本の双方から支配される。
1945年日本の太平洋戦争敗戦直後にホーチミンはベトナムを掌握し、一旦は独立を宣言した。しかしフランスはベトナムの独立を認めず、フランスとの戦争が始まる。
強力な軍備のフランス軍と弱小のベトナム軍の激しい戦いの結果、戦略と戦術に優れたベトナムが予想外の勝利。和平協定の結果ベトナムは北と南に分断された。
北はホーチミンの社会主義政権が掌握し、南はアメリカが支援する傀儡政権が擁立された。
アメリカは南ベトナムに軍事支援を進め、北ベトナムは南に人民軍を送り込むと共に南の民族解放運動を支援してアメリカと戦うことになる。
ホーチミンは日本のジャーナリズム、日本電波ニュース社に西側で唯一報道を許した。
その狙いは戦争の実態を米国民にも伝えることで米国内の反戦意識を高めることにある。
1964年アメリカはベトナム南北の争いに本格参入する。世界最強の軍事力を誇るアメリカ対アジアの弱小国北ベトナム。この戦争はゾウとアリの戦争と呼ばれた。
北ベトナムを勝利に導いたのはホーチミンが呼びかけた愛国競争運動による団結だった。
アメリカは北ベトナムを爆撃し、対する北は南に人民軍を送り込んで戦争が拡がっていく。
当初はアメリカ国民も戦争支持が多かったが1968年のテト攻勢から流れが変わってくる。
テト攻勢とは北ベトナム人民軍と南ベトナム解放戦線による旧正月の攻勢である。
南ベトナムのサイゴンを戦場とするテト攻勢は北ベトナム側の失敗にこそ終わったが、テト攻勢以降アメリカ軍の後退は続き、衛星回線の同時期開始により戦争の様子がアメリカ本国にも映像で伝えられ、アメリカ国民はその悲惨さを目の当たりにした。その結果米国内の反戦運動が高まり、結局アメリカのジョンソン大統領は北ベトナムへの攻撃を中止し、米軍はベトナムから撤退せざるを得なくなった。
1975年北ベトナム人民軍と南ベトナム解放戦線はサイゴンを陥落させて勝利した。ベトナムは統一されて、1976年サイゴンはホーチミン市と名前を変えた。
この戦争の結果、アメリカ軍は6万人が戦死。しかし一方アメリカの無差別攻撃によりベトナム側は国土の多くが焦土と化して300万人が犠牲となり、さらに米軍の枯葉剤散布により300万人が被害を受けて今も二世三世への影響は続いている。
ベトナムは自由と独立を達成できたがその犠牲はあまりにも大きかったと言わざるを得ない。この犠牲の大きさを見て思うのは、この戦争を何故回避できなかったのか?何故もっと早く終わらせられなかったのかということだ。思うにそれは大国の奢りにあったのではないだろうか。
ベトナムはその後素晴らしい経済発展を続けて現在に至っている。そして今日もまた世界で愚かな戦争が続いている。
ベトナム(続き) ― 2025年01月29日

昨日ベトナム戦争について書いた後、当時ベトナムからSWLカード(こちらの無線信号を受信しましたという受信カード)をもらったのを思い出した。
小一時間手元のカードを引っ掻き回してやっと探し出すことができた。
VIETNAM CONG HOA とある。これはベトナム共和国の正式名称で所謂南ベトナムのこと。
日時は1968年6月8日1537GMTと記されている。1968年はベトナム戦争の一番激しい時期だった。受信者は南ベトナムに送られていたアーカンソー出身のアメリカ人兵らしい。
休憩時間に短波を聴いていたのだろう。
当時はもちろんベトナムでアマチュア無線は許可されておらず、受信のみが許されていたようだ。受信機はドレーク2Bでアンテナは30フィート長のワイヤーとある。
この人はアメリカのW5-10353というSWLナンバーを持っていて母国では短波受信が趣味だったようだ。QSLカードをアーカンソーの自宅に送ってくれとある。その後無事に自宅に戻れただろうか。
当時は私も竹で作った貧弱なキュビカルクワッドアンテナで21MHzに出ており、やっと海外まで電波が飛ぶようになった頃だ。
ベトナムは長くアマチュア無線が禁止されていたが、復興後は許可されて運用局も増えている。
小一時間手元のカードを引っ掻き回してやっと探し出すことができた。
VIETNAM CONG HOA とある。これはベトナム共和国の正式名称で所謂南ベトナムのこと。
日時は1968年6月8日1537GMTと記されている。1968年はベトナム戦争の一番激しい時期だった。受信者は南ベトナムに送られていたアーカンソー出身のアメリカ人兵らしい。
休憩時間に短波を聴いていたのだろう。
当時はもちろんベトナムでアマチュア無線は許可されておらず、受信のみが許されていたようだ。受信機はドレーク2Bでアンテナは30フィート長のワイヤーとある。
この人はアメリカのW5-10353というSWLナンバーを持っていて母国では短波受信が趣味だったようだ。QSLカードをアーカンソーの自宅に送ってくれとある。その後無事に自宅に戻れただろうか。
当時は私も竹で作った貧弱なキュビカルクワッドアンテナで21MHzに出ており、やっと海外まで電波が飛ぶようになった頃だ。
ベトナムは長くアマチュア無線が禁止されていたが、復興後は許可されて運用局も増えている。
最近のコメント