扇風機の修理 ― 2021年06月02日
暑くなってきたので扇風機を出してはみたが古いもので電源スイッチの具合が悪く何度も強く押してやっと動き出すという代物。捨てようかと思ったがモーターなどの機械系は全く問題がないのでまだ使いたい。別の電源スイッチを取り付けようかと思ったけれど結構面倒臭いし安全性にも関わってくるのでやめた。スイッチは電源・ファン速度・ランダム運転・タイマーの4種類が並んだ押しボタン式のもの。どうも4つとも全く同じ電子スイッチのようなので相互に入れ替えてみたらどうかと思い、分解して基板を引き出してみた。やはり小さな押しボタンのタクトスイッチと呼ばれるもので基板に4つ同じものが並んで取り付けられている。回路図もないし電子回路の動作はよくわからないがスイッチを入れ替えるだけならば一番安全な方法だろう。4種類のスイッチのうち、ランダム運転のスイッチは全く使う可能性がないのでこれと交換することにした。半田ごてによる付け外しも簡単にできた。結果は新品のように軽いタッチで電源オンオフできるようになった。電子部品は変化が激しく、同じものはなかなか手に入らないのでこのように一つの機器の中で使わない機能の同じ部品がある場合、入れ替えをして直してみるのは補修部品も不要だし廃棄ごみも減る良い方法だろう。
人生の黄昏時 ― 2021年02月01日
家が狭いので余計な物はなるべく持たない主義で生きている。しかし最近は広い家なのに物を処分している人も増えた。コロナ禍や高齢化に伴い、自分の余命というものを認識するようになったせいだろうか。要らない物は処分した方が良い。だが好きだったことまでやめたり、大事にしていた物まで処分するのはどうだろうか? もちろん本意ではなく、家族などから責められて仕方なくという人も多いのだろう。世間が皆そうやっているからというのもあるかもしれない。しかし本当にそれで構わないのだろうか? 死が近い人が身辺整理をするのは分かるが、あと20年以上生きそうな元気な人まで終活とやらに草木もなびくという有様は理解し難い。私にはそれらが老後の生きがいを失うだけの残念な行為に見えて仕方ない。趣味や、自分がこれまで打ち込んできたことは生きがいの大事な要素である。現役のころは仕事に追われてなかなかできなかったことがリタイヤしてやっと思う存分やれるようになった。それをやめたり整理してしまったらもう生きる意味を失うに近いのではないか。人や社会に合わせる生き方もあるが、他人が何と言おうといつまでも好きなことに打ち込み続ける生き方もある。むしろ好きなことにしがみついて生きるのは素敵なことだと思う。そんな生臭さこそ生きるということの本質ではないだろうか? 他人から見たら価値のないものに打ち込んだり、何かを集めたり、こつこつと自分で続けてきたことの価値はその人にしかわからない。世間の価値観に惑わされて大事なものまで捨ててしまうのは勿体なさすぎる。自分が続けてきたことは死ぬまでやめない。むしろ一生かけて極めたい。そんな自分勝手な生き方も良いのではなかろうか?どうせ一回きりの人生なんだから。
鉛筆立て ― 2020年11月28日
家の中を片付けていたら大きな鉛筆立てが出てきた。しばらく見ていたら段々昔使っていた記憶が蘇った。引っ越しの時の荷物に紛れてそのまま仕舞い込まれていたらしい。鉛筆やボールペンが沢山入れられたままだった。ボールペンは意識的に先を下に向けておいたせいか重力の効果でインク切れの起こっていないものが多く、そのまま書けたのにはちょっと驚いた。この鉛筆立ては誰かに貰ったような気がするのだが残念なことに誰に貰ったのか覚えていない。何の変哲もない代物だが古い世界地図の一部が描かれていて少し面白いデザインなのでカメラで撮ってみた。ボールペンなどは机の中にいつのまにか増えてしまって処置に困るのだけれど、使えるものだけ選り分けてこのような大きい鉛筆立てに移して何時でも手に取れるようにしてやれば机の中が使われないペンだらけになるのを防げる。もう筆記の試験などの習慣からも遠ざかったせいか鉛筆も沢山使わないまま死蔵されているが、書き直し可能という点で鉛筆は優れている。図面などを引く時や絵を描くときはやはり鉛筆に限る。鉛筆もまだまだ生かすように心がけたい。もう長い間パソコンばかり使うようになって字を書くということをしなくなった。もともと不得意だった漢字はさらに忘れて書けなくなったし、下手な字がさらに下手になって最近はおぞましい状態になっている。目の前に鉛筆立てと紙を置いていつでも書ける状態にしておけば少しは状況を改められるだろうか。
丸塚山古墳 ― 2020年06月23日
今日の午後は雨も上がったので近場をサイクリングした。その途中で丸塚山古墳(伊勢崎市三和町)に立ち寄ってみた。畑と人家に囲まれた丘になっているが特に明確な通路は無い。雑草を踏みしめながら通りやすそうなところを上がっていくとすぐ一番上まで着いた。周囲は雑草ばかりで、その中に岩が一つと低木が一本生えている。周囲の視界は360度開けていて市内が良く見渡せる。ここで無線をやったら良く飛びそうだしノイズも少なそうだ。この古墳は下に立っている看板によれば5世紀頃の前方後円墳で長さは80m位。訪れる人は殆どなさそうで荒れている。降りる途中で蛇を何匹も見て怖かったが、蛇の方も迷惑だったろう。最初は無造作に歩いていたが足元に要注意である。
菜の花 ― 2020年03月22日
浴室リモコンの故障 ― 2020年03月18日
昨晩、浴室内のリモコンパネルが全く動作しなくなり焦った。台所リモコンのほうを操作して何とか凌いだが突然の故障に参った。業者を呼ぶのも面倒だし困ったなと思いつつ観察すると、どのボタンも全く反応しないし表示も出ない。台所側のパネルは全く問題なく動作する。通常台所側をオンすると浴室側パネルも点灯する筈だが、全くその気配もない。もしかすると制御ラインが切れているのかなと考えて、外のボイラー部に入るケーブルの端子BOXを調べてみた。すると1か所の端子のねじがグラグラになっていた(写真の端子板の一番右のねじ)。これかと思ってねじを締め付けたら案の定パネルは問題なく作動。単なる接触不良で修理時間5分(笑)。設置して13年目だから壊れても仕方ないのだけれど簡単なトラブルで良かった。しかしねじが完全に緩んでいるというのも変な気がしないでもない。最初から締められていなかったのだろうか?設置工事はしっかりとやって欲しいものだが給湯器に限らず案外この種のトラブルは多そうな気もする。
なお、良く考えてみると外のボイラーは温度変化幅も大きいため熱膨張収縮が繰り返され、動作の振動も加わるからねじ緩みがあっても不思議はないのかもしれない。特に凍結防止でヒーターが動作するとき、結構大きい交流音が発生する位振動を繰り返すのでこれが原因の可能性もある。
なお、良く考えてみると外のボイラーは温度変化幅も大きいため熱膨張収縮が繰り返され、動作の振動も加わるからねじ緩みがあっても不思議はないのかもしれない。特に凍結防止でヒーターが動作するとき、結構大きい交流音が発生する位振動を繰り返すのでこれが原因の可能性もある。
丸刈りした ― 2020年03月14日
頭が禿げ上がってしかも白髪なのでもう中途半端に伸ばしている意味がなくなった。そこで先日ついに床屋で丸刈りにしてもらった。すっきりして出家した気分だが、これも一つの意識転換のきっかけになるだろうか?
どんな感じなのだろうとスマホで自撮りして見たらそこには見慣れない老人が写っている。これが自分なのかと少々驚いたが、髪の毛の有無はもはやどうでもよいと達観できた。床屋では4㎜の長さで刈ってもらったが、髪の毛は直ぐ伸びるので今後床屋の回数が増えそうなのがデメリットだろうか。でも多少伸びても大差ないだろうから様子を見て行こうと思う。
どんな感じなのだろうとスマホで自撮りして見たらそこには見慣れない老人が写っている。これが自分なのかと少々驚いたが、髪の毛の有無はもはやどうでもよいと達観できた。床屋では4㎜の長さで刈ってもらったが、髪の毛は直ぐ伸びるので今後床屋の回数が増えそうなのがデメリットだろうか。でも多少伸びても大差ないだろうから様子を見て行こうと思う。
白内障(その3) ― 2020年03月05日
白内障手術をして2か月が過ぎた。裸眼の視力は0.7で安定して良く見えるようになったが近くを見るには少々不便になった。ド近眼の頃は強い眼鏡が何時でも欠かせなかったが近いものを観察するときは便利だった。眼鏡を外せば通常の人では見えないくらいの細かいものを易々と観察できたから。
1月9日のブログでは、子供のころに眼鏡を掛けさせられた為に近視の度数が急速に進んだと書いたがその思い込みは正しいのか調べてみた。
D.Adlerらの研究 ¹ がある。6歳から15歳までの近視の子供48人のうち23人に完全な矯正をした眼鏡を掛けさせ、25人には完全な矯正度数より+0.5D(Dはレンズの度数単位でレンズ焦点距離の逆数1/m)だけぼやけさせた眼鏡を掛けさせた。この2グループを18か月先まで追跡し、近視の進み傾向を比較した。その結果、完全な矯正をしたグループは+0.5D弱い矯正のグループに比べて少し近視の進み方が遅くなるという結論が得られた。つまり弱い眼鏡を掛けたほうが近視が少し進むということ。この理由についてははっきりしないが、子供の時期は通常遠視傾向があるためボケて見えると遠視によるボケと認識されて遠視を直す方向に眼軸がより伸びる性質があるらしい。
これまで感覚的に眼鏡は弱めにしたほうが度は進みにくいと考えていたのだけれど逆だ。すると自分が子供の頃に近視が急速に進んだのは眼鏡を掛けたせいではなく、むしろその眼鏡の度が弱めだったことが加速要因ということになる。昔我が家は裕福ではなかったため子供の成長につれて眼鏡の度数が合わなくなっても都度新しく買い替える余裕はなく、長い間合わない眼鏡のままで黒板の字もあまり見えない状態だった。だからもし眼鏡を掛けないでいたら更に近視の進行を加速しただろう。もちろん眼鏡の矯正度数の影響はそれほど大きくはなく、遺伝的な要因や生活習慣のほうが強いと言えるだろうから眼鏡を掛けようが掛けまいが度は進んだことになる。ただ、子供のころに眼鏡を掛けさせられたのが強い近視になった主原因と思い込んでいたことや、眼鏡は子供でも弱めの度数に矯正するべきだと考えていたのは間違いだったという事がやっと分かった。
注1. D.Adler et al The possible effect of undercorrection on myopic progression in children - Clinical and Experimental Optometry October 2006
1月9日のブログでは、子供のころに眼鏡を掛けさせられた為に近視の度数が急速に進んだと書いたがその思い込みは正しいのか調べてみた。
D.Adlerらの研究 ¹ がある。6歳から15歳までの近視の子供48人のうち23人に完全な矯正をした眼鏡を掛けさせ、25人には完全な矯正度数より+0.5D(Dはレンズの度数単位でレンズ焦点距離の逆数1/m)だけぼやけさせた眼鏡を掛けさせた。この2グループを18か月先まで追跡し、近視の進み傾向を比較した。その結果、完全な矯正をしたグループは+0.5D弱い矯正のグループに比べて少し近視の進み方が遅くなるという結論が得られた。つまり弱い眼鏡を掛けたほうが近視が少し進むということ。この理由についてははっきりしないが、子供の時期は通常遠視傾向があるためボケて見えると遠視によるボケと認識されて遠視を直す方向に眼軸がより伸びる性質があるらしい。
これまで感覚的に眼鏡は弱めにしたほうが度は進みにくいと考えていたのだけれど逆だ。すると自分が子供の頃に近視が急速に進んだのは眼鏡を掛けたせいではなく、むしろその眼鏡の度が弱めだったことが加速要因ということになる。昔我が家は裕福ではなかったため子供の成長につれて眼鏡の度数が合わなくなっても都度新しく買い替える余裕はなく、長い間合わない眼鏡のままで黒板の字もあまり見えない状態だった。だからもし眼鏡を掛けないでいたら更に近視の進行を加速しただろう。もちろん眼鏡の矯正度数の影響はそれほど大きくはなく、遺伝的な要因や生活習慣のほうが強いと言えるだろうから眼鏡を掛けようが掛けまいが度は進んだことになる。ただ、子供のころに眼鏡を掛けさせられたのが強い近視になった主原因と思い込んでいたことや、眼鏡は子供でも弱めの度数に矯正するべきだと考えていたのは間違いだったという事がやっと分かった。
注1. D.Adler et al The possible effect of undercorrection on myopic progression in children - Clinical and Experimental Optometry October 2006
新型コロナ肺炎禍 ― 2020年02月21日
新型コロナウイルス感染に対する厚労省の見解や対応は混迷を続けている。最初は人から人への感染無しから始まり、その後接触感染や飛沫感染はするが空気感染はしないという見解に至っている。しかし最近中国からはエアロゾル感染の可能性も出されている。問題の正しい理解のためには現場の状況をよく観察する必要があり、そこから理屈で考えることが解決の第一歩である。クルーザー船などでの感染状況を見ると、手洗いやマスクなどの注意をいくら行っても防ぎきれない状況が見えてくる。これは感染経路が接触や飛沫と理解されているために防ぎきれていない可能性も考えられる。クルーザー船のような閉じた空間では空調が行われており、空気は各室を循環している。もし空気感染が起こっていると考えればクルーザー船や乗り物等で非常に感染率が高い状況を良く説明できる。マスクをしても手洗いしてもまだ感染が広がっていることも説明できる。空気感染はないという専門家の考え方が事態の甘い見通しに繋がっている。これにより各種集合行事も殆ど規制しない緩さが今後の感染拡大の可能性を拡げているだろう。エアロゾル感染というのは飛沫の水分が減って核が空中に長く漂いやすい状態での感染を言うが、これは限りなく空気感染に近いと言える。エアロゾル感染があるということは空気感染も否定できない筈である。特に今回は新型であるため抗体も出来ておらず、僅かなウイルス量でも感染しやすい状況だろうから空気の中に少量のウイルスが含まれるだけでも感染しうることは十分考えられる。それならば冬の乾燥時期の今、公共物や店などの密閉された空間での空調は十分な注意が必要であり、フィルタの性能の吟味や空気循環の停止や十分な換気なども考慮する必要がある。行政側としては国民の不安が広がらないようできる限り抑制した発表にしているのだろうが、これが結局日本国内の楽観的な見方を醸成している。しかし新型ウイルスというものは何であるかがまだ分かっていないのだから臆病になるほうが合理的であり、危険を回避できる可能性も高まる。これで過剰な防御となったとしても悔いはない筈。当初、武漢からの旅行客を簡単に入国させてしまった行政の楽観性が早い感染拡大の大きな原因になっている。特に体温37.5℃以上という緩い判定基準は、中年以降高齢なほど体温が低く発症してもあまり体温が上がらないことを考えれば感染者を通過させてしまった重大要因になっている可能性がある。事態の進行に追随するだけの楽観的で科学的でない後追いの行政がこの国の対応方向性を誤る根源と言えるか。
電気の検針 ― 2020年02月17日
毎月電力会社の人が検針に来る。検針の期間を見ると27日~33日位の間でばらついている。検針する人の都合で検針日は多少ずれるのはわかる。しかし試みに過去3年間のデータを取ってみたらある傾向が認められた。過去3年間でひと月当たり33日の場合が9回あった。このうち6回つまり67%が1月と8月の検針に集中している。1月と8月はエアコンの稼働時間が多く、電気使用量も1年間のピークになる時期である。一方、従量電気料金は家庭用では使用量に応じて通常3段階に分かれる。東京電力の場合、第一段階は120kWhまで1kWh当たり19円43銭、第二段階は300kWhまで同25円91銭、第三段階は300kWh以上が同29円93銭というように料金ランクが上がっていく。従って電力会社としては使用量の多い月には上位段階まで使ってくれれば料金率を上げられる。つまり1月や8月などの使用量の多い月は1か月を暦通り30日や31日でなく33日にして積算量を上げたほうが余計に儲かる確率が上がる。電力会社がそこまで姑息な計算をしているかどうかはわからないので憶測にすぎないが。



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