夏目漱石 夢十夜2019年06月11日

この前、夜中に寝ながらNHKラジオ第二放送の高校講座国語総合を聞いていたら女優のミムラが出演していて、漱石の短編夢十夜の第六夜をやっていた。昔読んだことはあったが、夢の話で怖い話を集めたものという程度の記憶しかない。第六夜は山門で運慶が仁王を刻んでいる話。見物客の一人が彫刻とは木の中に埋まっているものを彫り起こす作業だと言う。自分も仁王を彫り起こしたくなって家に戻り、彫ってみたが明治の木には到底仁王は埋まっていなかった。それで運慶が今日まで生きている理由がわかったという話。いつの時代にもある現時代批判と言えるだろうか?
そこで翌日、図書館に行って夢十夜を探し、読み直してみた。第七夜は大きな客船に乗っている、人生に飽きた男の話。何処に向かっているのかわからない船の上で男は何もかもが詰まらなくなり、死ぬことにした。船から海に向かって身を投げた刹那、急に命が惜しくなる。飛び込むのはよせばよかったと心底後悔するがもはや後の祭り。どこに向かっていくのかわからない船でもやはり乗っているほうが死ぬよりましだったと気づく。男は初めて、生きる大事さを悟るのだが、落ちていく自分にはもうその悟りを生かすことができないという本当の絶望感を感じる。そして無限の後悔と恐怖を抱きながら黒い海へと落ちていく。人生という船の行き先は誰にもわからない。無意味と思うことを繰り返しながら行き先もわからず生きてきて途中で断ち切ってしまう男の気持ちが理解できないわけでもない。しかし行き先がわからないというのは無意味だということとは違う。その先に何が待っているのかを見届ける方が面白い。小説も結末がわからないから途中で詰まらなくなっても我慢して読み続け、読んでよかったと思うことは多い。それに、行く先のわからない船に乗っていても、自分の行く先は自分で決めるしかない。

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