パラダイムシフト2019年04月09日

いつ頃だろうか?このパラダイムシフトという言葉が流行ったことがある。

今まで存在しなかった、あるいはつまらないとみなされていた問題が、新しいパラダイムの下に脚光を浴び、科学上の仕事の原型となる。そして問題が変わるにつれて本当の科学的解答と、単なる形而上学的思弁や言葉の遊戯、数学遊戯を区別する基準も変わることが多い。(トーマスクーン科学革命の構造より)

科学は漸進的累積的積み上げで進歩するものなのか、それともある発見に伴って飛躍的革命的変化で進歩するものなのか?相対論や量子論は革命的変化を生んだと言えるだろうが、その変化過程を眺めると累積的な積み上げを伴っているようにも見える。孤高の研究者キャベンディッシュが亡くなったあと、その実験室に残されたものを見たマクスウェルは多くの重要な発見がすでにキャベンディッシュによってなされていたことを知る。科学というものはこのように特定の個人によってのみ発見されるものではなく、その人がいなければ必ず違う誰かが発見する。パラダイムシフトを起こすのは個人ではなく、累積的な環境かもしれない。まるで毎日の気温の累積で開花する桜のように。

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